より よく 生きる

よりよく生きるために

本・美女と野獣

美女と野獣」という作品を、観たこと読んだことがないということはあれど、聞いたことがないという人は少数なのではないだろうか。それくらい、世界的に浸透している作品である。Disneyのアニメーション映画「美女と野獣」を思い浮かべる人が多いかもしれない。ここ数年であればエマ・ワトソンが主演で制作された実写映画を思い浮かべるかもしれない。はたまたフランス版実写映画であろうか。

しかしながら、原作者が誰であるのか?と聞かれると、ポンと浮かんでこないのではないだろうか。シンデレラならグリム童話不思議の国のアリスであればルイス・キャロルアナと雪の女王であればアンデルセン…と割と有名なところが浮かぶ。では「美女と野獣」は?

と、いうことで今回は「美女と野獣」の原作を読んでみたので、盛大にネタバレ交えて紹介していこうと思う。

 

美女と野獣新潮文庫版) 

 著者:ボーマン夫人

美女と野獣(オリジナル版)

著者:ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ

 

まず、どういった経緯で「美女と野獣」という作品がこの世に生まれたのかの話をしようと思う。「美女と野獣」(La Belle et la Béte)を描いたのは18世紀 フランスの作家 ヴィルヌーヴ夫人である。当初は1740年にオランダのハーグで刊行された物語集「アメリカ娘と洋上物語」の第一話として描かれた。当時の妖精物語にしては長く、万人向け…ましては子ども向けとは言いづらい作品であった。そして彼女の死後、ボーマン夫人によって、子ども向けに要約して書き直し、かつ教育読本として使われることで有名になった。ボーマン夫人版は子ども教育に必要がない内容はばっさりと切り捨てて物語を紡いでいる。ボーマン夫人はあちらこちらから仕入れてきたよりよい話の種をみつけては、こうして短編にしていたようである。ちなみにDisney作品としての「美女と野獣」の土台はこのボーマン夫人版である。

 

Disneyアニメはここ数年観ていないため、エマ・ワトソンの実写映画版の「美女と野獣」のストーリーを基盤に比較したい。読書が好きで精神的に自立した女性であるベルはその街では浮いてしまい馴染めずにいる。そんなおり、父親が遭難しかけとある不思議な城に助けられる。父親はそれが許されないことと知らずに薔薇の花を摘んでしまい、野獣の怒りをかい、監禁されてしまう。父親の危険を感づいたベルは、城を訪ね、自分を父親の身代わりとして監禁させる。野獣とベルは少しずつお互いのことをしり、友情を深めるが、ベルは自分の父親に会いたいと願い、また、野獣はそれを許し、二人は別れる。以前からベルを手に入れたいと策略を重ねていたガストンは、父親をだまし、村人をだまし、野獣を討伐しにむかう。野獣とガストンは戦いの末、両方命を落とすが、ベルが心から野獣を愛していることに気付き、それをみた魔女が野獣を生き返らせ、また元の美しい姿に戻し、2人は幸せに過ごすというのが大体のストーリである。

この場合、野獣が野獣となってしまったのは、とある老婆が王子(後の野獣)に救いを求めたが当時の彼は傲慢であったためその老婆をないがしろにし、実は魔女であった老婆の怒りをかったことが原因である。

 

しかし、ヴィルヌーヴ版は大きく違っている。こちらのストーリーでは、父親が薔薇の花を摘んでしまうという描写は同じであるが、そのまま監禁するのではなく、罰として父親自らが償うか、恐ろしい野獣のもとにいくと解ったうえで身代わりをかってでる娘がいればその娘を連れてくるか…を選ぶことができる。当然、心優しいベルは自分が望んだ薔薇のせいで父親が罰せられるのであれば、自分に罪はなくとも誠意をみせるべきであると考え、自らが身代わりをかってでて野獣の城で暮らすことになる。野獣は見るも恐ろしく、会話も愚かであったが、ベルに危害を加えることはなかった。そしてできるだけ快適に暮らせるように、ベルが退屈しないように過ごさせ、誠心誠意優しさを尽くした。しかしベルは夢をみると美しく才気ある謎の青年に出会う。野獣の城の中でとある肖像画として描かれていたその彼にベルは次第に恋をする。その後も野獣は毎晩ベルに「一緒に寝てくれませんか?」と誘うが、当然ベルは断る。野獣が誠心誠意ベルをもてなしていたため、ベルは野獣に感謝をしているが恋をしているわけではない。夢の中であう貴婦人(妖精)に「見た目に騙されてはいけない」と諭され、父親からも野獣との結婚をすすめられ、野獣と謎の青年の2人の間で板挟みになるベルだが、自身のせいで野獣が死の危機に直面していると知る。そこで自身がいかに野獣を大切に思っているかに気付き、野獣と結婚することを決心する。野獣と結婚した次の日の朝、野獣はベルが夢のなかで出会っていた謎の青年の姿に代わっており、そしてベルは彼らが同一人物であったことをしり喜ぶ。ざっくり、ここまでで第一章である。

第二章は何故彼が野獣になってしまったのかを野獣の視点から、そしてベルの出生についてが妖精(夢の中であっていた貴婦人)の視点から描かれる。野獣にされてしまった王子は悪い妖精に好かれてしまい、その好意に従わなかったため、半ば逆恨みのように野獣にされてしまう。そしてさらに以下のようなとんでもな呪いをかけられてしまう。

私はおまえに命じよう。醜いのと同じくらい愚鈍なふりをするように。そして、もとの姿を取り戻したければ、若く美しい娘がお前に喰われると知りつつ自分からおまえに求婚するほど深い愛情を抱かねばならない。世にも稀なそんな女性に出会うまで、おまえは自分自身にとっても、おまえを見る誰にとっても憎悪の的となるように…それから――(中略)――この怪物があんた(女王)の息子だと誰かに告げようものなら、息子は二度ともとの姿に戻れないだろう。損得勘定や野心や才気の魅力の助けなしに、彼は、この姿を脱ぎ捨てなければならない。

またDisney映画ではベルが商人の子であることが問題になるという描写はいっさいなかったように記憶しているが、ヴィルヌーヴ版ではそこが問題となる。王子(野獣)の母親である女王はベルの出生を知り、結婚を拒む。しかし実はベルが自分の兄の娘であることをしり出生に問題なかったため後に結婚をみとめる。ベルは幸福島の王と ベルが夢の中で出会った妖精の妹との間に生まれた子であった。この辺りの詳細は割愛するが、最終的に悪い魔女はベルにも「野獣と結婚する」という呪いをかけていたため、この妖精が裏であれやこれやと活躍し、ベルと王子の二人はお互いの呪いを解決しつつ結ばれるのである。

 

こんな感じで私の主観を交えつつヴィルヌーヴ版を紹介したわけであるが、このようによくしられる「美女と野獣」と原作の相違点は多いのである。ベルは2人の間で揺れ動くし、野獣と結婚したその夜も夢の中で謎の青年と出会うわけであるが、野獣との結婚を喜ばれたことに対してベルは青年に対して忌々しく思う。愚かで醜い野獣よりも王子に惹かれるという気持ちは簡単に払拭できるわけではない。Disneyのようにたとえ野獣でも優しいあなたを愛しているというわけではなく、感謝の気持ちを理性的に表したことで正しい道を進んだにすぎないのである。もちろんそれも素晴らしいことであるが、美しいだけの物語ではなく、そのあたりをきちんと厳しいものとして原作では描かれているのが好感をもてる。世の中そんなに美しいだけではない。

 

ボーマン夫人版はもっと簡略化され、見た目だけ人を愛してはならないといった教えなどを元に第一章の筋書だけを描いている感じである。そもそもボーマン夫人版は13編の教訓物語で構成されていて、「美女と野獣」はその1つに過ぎない。

 

ところで、先にも触れいているが「美女と野獣」は数年前にエマ・ワトソン主演で実写映画化されている。私はハリーポッターシリーズの頃からエマ・ワトソンの美しさに魅了されていたので、当然劇場で観に行った作品である。実のところ、映画公開の知らせを聞いたときは「あのエマ・ワトソンがDisney Princessを?」と思った。私の中でDisney初期作品の印象はシンデレラコンプレックス的なストーリーであり、フェミニストであり、男性と女性が平等であることを主張する彼女が何故と疑問であった。

シンデレラコンプレックスとは「いつか白馬の王子様があらわれて、私を救ってくれる」という幻想に取りつかれている状態。他者(理想の男性像)への依存願望が強く、自立できていな状況。本来の自分を客観的に認めることができず、また自分が抱えている問題は出生や環境のせいであると決めつけ、誰かが助けてくれるのをまっている。また女性の幸せは男性によって決まるという考え。童話「シンデレラ」から名前がついている。

ja.wikipedia.org

ちなみにエマ・ワトソンが今までしてきた活動については以下の記事を参考にしていただけると解りやすい。

若くして地位と名声を手に入れたエマ・ワトソンは、よき世の中になるため、そして女性たちをエンパワーにする活動に費やしている。2014年には、女性の地位向上を目指す国連組織「UNウィメン」の親善大使に任命。女性の権利を男性にも知ってもらう「He For She」キャンペーンを発足し、スピーチを行った。

 「たとえ、みなさんがフェミニストという言葉が嫌いでも、大切なのは言葉そのものではなく、その背景にある考えや重いです。私が手にしている権利をすべての女性が持っているわけではありません。実際に統計的にごくわずかな女性しか正当な権利を享受していないのです」

エマ・ワトソンはあくまでも「フェミニズム」という言葉ではなく、その概念を理解することが大事であることを主張し、世界から賞嘆を集めた。

www.vogue.co.jp

こちらが国連のスピーチである。

www.youtube.com

 

 そんな彼女が何故、Disney Princessを演じたのか。シンデレラのオファーを断り、美女と野獣のオファーは了承したことに関して以下の記事がある。 

 「ベル役をオファーされた時、シンデレラよりもキャラクターと共鳴する部分が多いと感じたのよ。ベルは好奇心旺盛で、思いやりがあって、オープンな心を持った女性。私がロールモデルとして体現したいのは、そういう女性だと思ったから」

ベル役を引き受けるにあたって、彼女が持つ’女性としての強さ’をもっと強く表現するため、脚本にテコ入れをした。

「ベルは読書家だけど、それだけでは彼女が周りになじめないキャラクターである理由として弱いと思ったの。それに、普段何をして過ごしているの?っていう疑問もあった。だから今作で私たちは、彼女のバックグラウンドを肉付けしたの。たとえば彼女が洗濯機を発明すれば、洗濯機をまわす間に読書をする…といった設定に説得力がでるでしょ?それで彼女を発明家にすることにしたのよ」

www.cosmopolitan.com 

ハーマイオニーからベルへの移り変わりは、エマにとって成熟した大人へのリアルな成長物語である。「この映画の撮影が終わったとき、私は大人への目覚めをベルを演じることに込められた気がしたの」そうエマはいう。ベルは「まごうことなきディズニープリンセスよ。だけど彼女はただ待っているだけのキャラクターではない。自分で自分の運命を切り開くわ」

www.vogue.co.jp

エマ・ワトソンが演じるベルの姿はとても美しく魅力的で何度見てもいい。 それは彼女がただ王子様を見つけることだけに夢中になるお姫様ではなくて、自ら本を読んで、学び、考え、発明し、それこそ切り開いていくような存在だから、私には素敵にうつるのかもしれない。実写もアニメも「美女と野獣」は美しいヒロインがイケメンで優しい王子さまと何故か一目で恋におち幸せになるというストーリーではないところが好きである。まぁ最終的には美男美女で終わるのだが…。

 

私もいつまでも王子様を待っていないで、少しでも自立した理性的な人間でありたいものである。

より よく・アボカド

自分という人間の性格を簡単に説明すると何であろうか。私は「熱しやすく冷めやすい」であろうか。ただし飽き性というわけではなく、波があるのだ。一つのことに集中して何かをこなし、ある日突然パタリと辞める。いったん他のものに集中して、またある日突然パタリと辞める。それを繰り返していくのだが、ある日突然ループしていたかのように、以前集中していたことに帰ってくるというのを繰り返している。 

もちろん集中してはいないのだが、ずっと続けているようなこともある。人間が食後歯磨きをするように、習慣化されて趣味とはいえなくなったもの。例えばKinKi Kidsに関しては、もうあって当たり前のものであって、一度ものすごい熱をあげた時期もあったが今は落ち着いていて、ただそれは飽きたとかではなく、これが私の距離感なのだ。ときたまブンブブをみて気持ち悪くニマニマしては、今日はあの曲の気分だとスマートフォンをひらく。ちなみにKinKiの曲はCDで聞くよりもライブで聞いたものの方が各段に良い。なのでたまに足りなくなってきたなと思ったらライブDVDを引っ張ってくる。

このように熱烈にこなしているわけではないけれど、なんかしらんがゆるゆる続いている系のものを紹介したい。

アボカドである。

何を言っているのかと思われるかもしれない。しかし、聞いてほしい。あのアボカドである。よく食料品売り場にある緑がかった茶+黒色のラグビーボール型の食材である。

 

ことの発端は2020年ゴールデンウイーク。例のウィルスによる緊急事態宣言で世の中が止まっていたころのことである。あまりに暇であった私は(大学図書館にて勤めていたので出勤はあるが日数が減っていた)、YouTubeをみてはぐーたらとしていた。そんななかで出会ったのが、アボカドの種を水耕栽培にて育てるというものだった。何度も言うが、私は気になったらやってみないと気が済まない性格である。早速、スーパーのアボカドを入手し、種を取り出す。(もちろん美味しくいただいた/たしかリュウジさんのバズレシピ)それを綺麗に洗う。
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 こちらが2020年5月8日にTwitterに投稿した写真である。

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必要なものは手ごろなサイズのビン、つまようじ3本、アボカドの種、水
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このようにアボカドの下の方につまようじを突き刺す。三方向からバランスよくさし、ビンにのせたときに種の下部分だけが水につかるように調整する。
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 するとこんな感じ。昔、駄菓子屋かなんだかでこんな玩具をみた気がするが、思い出せない。あとは定期的に水を変え、様子をみる。私は適度に日当たりのある室内に放置していた。


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 そして2020年7月14日、根が出てきているのを発見する。2か月うんともすんともであり、しかも表面の皮部分はとれてしまうし、割れが入るしで傷んでいるのか心配しながらであったため、大変嬉しかったように記憶している。
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 そしてさらに1週間後の2020年7月22日、一度根がでるとそこからの行動は早いようでみるみるのびる。あまりに伸びるのが早いため、底の高いスタバのカップに引っ越しをする。しかしながら、芽の方はうんともすんともである。
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さらに1週間後の2020年7月28日。根に広がりが出てくる。 
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 それなりに太さもあり、立派な根が生えている。この頃にはスタバの底にまで到達しているが、相も変わらず芽はでない。
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 そして待つ事2か月少し。2020年10月2日に芽が出る。あまりに芽がでないため、水耕栽培をやめ、土植えにしたら芽がでたように記憶している。
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これまた一度出てくると成長は早いもので2020年10月15日の2週間ほどで結構伸びて、若葉が開く。かわいい。
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さらに半月後の2020年11月3日、葉が少しずつ大きく成長する。
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 2021年2月13日、3か月に渡る越冬の際、数枚の葉が落ちる。その後も新芽以外すべてが落葉する。根腐が原因と思われる。春頃から室外での栽培に変更する。
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2020年6月頭。いつの間にか、新芽が回復し、まさかのもう1本生えてくるということを発見。そのまま見守ったところ、無事若葉が開く。
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2020年6月中頃。半ば栽培をあきらめていたところもあったのだが、彼は生きようとしているようなので、アマゾンにて新しいプランターを購入。水はけがいいらしいものに変更した。

 

こんな感じにアボカドとゆるく付き合っている。ちなみによく「成長させてアボカド栽培するの?」といわれるのだが、彼は自家受粉できる植物ではないらしいので1本では実ができない。なので、完全に観葉植物として同居している。

 

ところで。俳優の高橋一生さんは家具に名前をつけるという話が有名であると思うのだが、実は私も同様の人間である。実家で暮らしていた際に使用していた原付バイクにはメーヴェとつけていた。

メーヴェとは「風の谷のナウシカ」に登場する、ナウシカが使用している飛行用装置のこと。ドイツ語でカモメを意味する。…ということを、音楽バンド「19」の「あの紙ヒコーキくもり空わって」の歌詞にて知り、以降私も愛用している名前である。

ja.wikipedia.org

そういうわけで、アボカドには 安保(あぼ)さん という名前をつけている。しかしながら現在一つの種から2本の枝がはえてきているという状態であって、名前をどうするかで悩んでいる。私が安保さんと呼び慕っていたのはもともとはえていた彼であって、新しい彼は安保さんといってよいのだろうか。いってしまえば新しい彼は安保さんの弟もしくは妹ということになるのだろうか。そうであれば安保さんは安保さんであるのだが、いや、しかしそうすれば呼ぶ際にややこしいわけで、だからといって安保さん1号、2号と呼ぶのもいささかつまらない気がしている。傍から見ればどうでもいいことに悩んでいるように見えるかもしれないが、付かず離れずの距離ではや1年暮らしている同居人(植物だが)なのである。そこをおろそかにはできない。いっそ安保一郎、次郎というふうにしてしまおうか。それはそれで面白みがない。カストル(先輩)とポルックス(後輩)にするか…?さつきとめいも捨てがたい気がする。こうして考えている時が、一番楽しいのだ。

 

より よく・長谷寺

2021年の目標の1つに「花と触れ合う」というのがある。本当であれば旅行に行くというのが目標(ご褒美)になるのだけれど、こんなご時世であるしなかなか難しい。しかしながら、何もしないというのも寂しい話であるのでここに落ち着いたのである。感性を鈍らせない…感動に触れるのに花は良い。その美しさを愛でるのに男女も年齢も関係ない。ただ綺麗だねすごいねといっていれば平和に1日を過ごせるのだから。4月は桜、5月はネモフィラ、藤、薔薇、そして6月である今月はやはり紫陽花である。

今回は長谷寺に伺うことにした。実は知っているけれど行ったことのないお寺である。公共交通機関を使うため、近鉄 長谷寺駅を出発し徒歩20分くらい(途中若干の のぼりあり)をだらだらと歩き到着。

www.hasedera.or.jp
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 礼儀としてお参りをしてから紫陽花かしらんなどと話していたが、本堂までの道筋が紫陽花で埋め尽くされている状態!右も左もひたすら紫陽花。以下は暫く昨日撮影した紫陽花をただただ愛でていただけれればと思う。


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 個人的には紫陽花はこの色が好き
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 ガク部分がバイカラーになっているのも面白い
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一面が紫陽花。しかも色とりどり
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 白×紫は上品で、擬人化させたらビブリアの栞子さんのようなイメージである。
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まぶしいくらいの赤。この色は見つけられたのはこの1株だけだった。
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 絨毯のようであり、ゼリーなどのお菓子の詰め合わせのようであり。
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 砂糖菓子があちらこりらに転がっているようで可愛い。
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 意外と知らない紫陽花の裏側。
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 五重塔と紫陽花。
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 グラデーションのような紫陽花。
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 紫とピンクはやはり可愛らしくて、安直ではあるのだけれど、ドレスのスカートのよう。両手で包みたい。
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砂糖菓子に埋もれてしまいたい。
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 紫陽花に合わせてネイルをする。普段、図書館で仕事をしていると書架移動の際などに爪をこすることがあるためネイルはできない。してはいけないという決まりはないのだが、してもボロボロになるのでしていなかったのだ。

だからこそ、たまにするネイルには意味を持たせたい。朝から買い物に出かけた時に、ふと思い立ってポリッシュを購入して、帰宅して汗をシャワーでながして、お出かけまでの限られた時間、乱視の目を細めプルプルと震える指先を抑えながら、何とか塗りあげる。楽しい。同行者と合流後、一番にこの話をする。楽しみにしていたのだよと伝わればいいと思う。
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マイルールとして、行きしなは露店であったり、参道のお店を使用しないと決めている。仏様であったり神様であったりにご挨拶をして、感謝を述べたのち、遊楽の時間を設けるようにしている。なんとなく礼儀のような感覚である。ということで、帰り道によったのは名物 くさ福餅 というお店。私という人間は単純であるので、行列ができていれば気になる。ということでこちらのお店で草餅を購入することに。

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 素人故よくわからんが、本格的~ととりあえず眺める。
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 購入したのがこちら。表面はこんがり、中はふわとろ。粒あんの甘さが、草餅の香ばしさと相まってちょうどいい。

 

ちなみに写真NGのため、撮影はしていないが6/30までは本尊大観音様が特別拝観できる。普段は入ることができない国宝本堂の中に入り、観音様のお御足に触れてお参りすることができるらしい。触ることができるのはありがたいが、こういうご時世であるので今回はご遠慮させていただいた。ただ表からお姿を拝見してその美しさがとてつもなかった。
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あとこういう階段あると進みたくなる幼心。

 

こんなわけで今回のプチ旅行はこんな感じである。両ひざがいつもより重いのは気のせいであろうか。いや、そんな運動不足だなんて、まさか。

より よく・プラントベース

ヴィーガン関係の書籍を読む少し前から、大豆ミートを用いた食料品をいくつか食べ始めているのだが、今回はその感想を綴りたいと思う。何故必要なのかというお話は前回の「脱搾取」でお話しつくしたので、今回は深くは追及しないつもりである。

 

まず、こういった「植物性の食材からなる食品全般のこと」をプラントベースフードというのはご存知だろうか。日本ではまだ定義がないようだが海外ではしっかりと定義され、「プラントベースミート」という植物性代替食品が広がりつつある。また植物性食品を取り入れるライフスタイルのことを指す言葉である。

カゴメ株式会社HP参照

www.kagome.co.jp

 

前回の「脱搾取」について綴ったときに 畜産業は温室効果ガス排出量や水質汚染につながっているということを書いたが、こういった食品を摂取することで畜肉の消費を減らすことができるというわけである。また、畜肉をひかえるとたんぱく質の摂取量が下がるが、その代替にも大豆ミートが役に立つのである。

私が現在愛用しているのが、こちらの3つである。先ほど参照したKAGOME大豆ミートキーマカレー、3種類豆のベジタブルカレー、marukomeの大豆のお肉である。
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まず大豆ミートキーマカレーについてだが、言われなければ大豆ミートと気付かない。カレーがなかなかにスパイシーであって、食感もしっかりしているのでひき肉がはいっているように感じる。今のところこれが一番お気に入りメニューである。 

 


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次に3種類のベジタブルカレーについてだが、こちらは肉の代用というよりは豆入りのカレーというもの。豆がそのままで、キーマカレーよりは辛味のおさえられた味のように感じる。 


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そして高頻度でお世話になっているのがダイズラボの 大豆のお肉 である。湯戻しや水切りなしでそのまま使うことができるので便利である。単体で食べるというよりは、何かに混ぜて使用している。味としてもあまり肉感がないため、味の濃いものに使用するといいかもしれない。

私はミンチタイプを使用しているが、洋風ミンチや味付きブロック、中華風フィレなんかも販売されている。私が普段使用しているスーパーでは残念ながらお見受けしたことはない…残念である。

www.marukome.co.jp

当然ながらひき肉の代わりとして使用している。例えばそれは餃子であったり。この時は通常のひき肉の代用として使用している。これ以降、肉なし餃子は私の中で定番メニューとなり、その都度中身は変わる。最近はキャベツ・ネギ・大豆のお肉・塩レモン・ショウガを入れて作るのが気に入っている。ロシアンルーレットのようにキムチをいれるのもいい。塩レモンをいれることで、味ぽんをつけても何もつけないで食べてもいい。ちなみに平日も食べたいのでニラやニンニクは入れていない。
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 下の写真はある日の夕食である。餃子と、その横にある茄子の素焼きのみそだれにも 大豆のお肉 を使用している。肉を食べているように見えるが、この食事では一切肉を使用していない。これで充分お腹は膨れ、肉がなくても肉を食べた時と変わらない満足感が得られ、同時に「大豆ミート」を使いこなしている自分に対して、ちょっとした優越感をもつ。ここが大事である。自分を褒めて、これは意味のあることなのだと思うことが(実際に意味があるのかどうかは置いておいて)継続への第一歩である。
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今気づいたが瓜率が高い…。

 

この他、私は摂取したことは当然ないが、ビヨンド・ミートも抑えておこうと思う。ビヨンド・ミートとは人口肉を製造・開発するアメリカの食品テクノロジー企業であり、ビル・ゲイツが主要株主として有名である。BEYOND BURGERは耳にしたことがあるのではないだろうか。見た目も味も本物に近づけたハンバーガーやミートボール、ソーセージなどを販売している。

www.beyondmeat.com

ja.wikipedia.org

www.esquire.com

このように多くの企業がプラントベースミートの開発に勤しんでいる。ただしプラントベースの植生活に関しての分野はまだ新しく、フェイクミートが人間の食生活にどのような影響を与えるのかに関してはまだデータ不足であり、健康問題がでないとは言い切れない。また割と効果である。そして大豆ミートには小麦が使用されていることが多いため、小麦をひかえている人にはオススメできない。

私は健康上、肉を食べなくてはならない(例えばビタミンB12が欠乏している)であったり、お肉が大好きでお肉が食べたい!のであれば当然肉をおススメする。私は100%畜肉を摂らないという食生活を勧めたいのではなく、こんな面白いものがあるから試してみない?という意図で今回は綴っている。実際、私も100%畜肉を摂取しないという生活はしていない。卵を頂く日もあれば、チーズを頂く日もあれば、肉を頂く日もある。そして逆に今日は肉を食べない気分という日は、No Meat Dayを楽しんでいる。

 

ここからは前回も紹介した「完全菜食があなたと地球を救う ヴィーガン」を参考に綴りたいと思う。上記のように新たに作られたプラントベースミートではなく、雑穀を代用品とする。

この本ではとにかく雑穀ごはんを食べることを推奨している。

――雑穀ごはんを主食にすることです。食物繊維と微量栄養素たっぷりの雑穀入りごはんを主食にたっぷり食べると、体全体に適切なペースで糖が補給され、微量栄養素によって着実に代謝されます。その結果、体は本当の意味で満腹になり、食欲は嘘のようにおさまります。 

ここでは主食を雑穀にするだけでなく、それ以外のメインメニューやデザートに関しても雑穀を代用して作る。

畑の挽肉 高キビ…赤茶色のもち種。モロコシ、高キビと呼ばれる。煮えにくい食材でありるため、一晩水に浸けてから炊く。キュッキュッとして歯ごたえと弾力のある食材になり、挽肉に見立てることができる。

 

畑の卵 もちキビ…小キビ、イナキビとも呼ばれる。アワやヒエより少し大きめの粒。コレステロールを抑制する働きが注目されている。炊きあがりはあざやかな黄色で、卵風味のふんわり感のあるとろみとコクがある。

 

畑のチーズ もちアワ…鉄分が多く貧血を予防する。もちアワは2~3倍の水加減で炊くとチーズのように炊きあがる。色もクリーム色で自然な甘みがあり、塩味を強めに整えるとチーズ風になる。

 

畑の鶏肉 うるちアワ…ヒエと並ぶ日本の主食作物。うまみが強く、たんぱく質量も多い。鳥そぼろのような風味と食感が楽しめる。

 

畑の魚 ヒエ…体を芯から温める働きがある。ミルキーでコクのある味。水加減でモッチリともパラリとも炊き上げることができる。冷めると固まる性質が強いので、熱いうちに料理する必要がある。1.8倍でヒエを炊き、炊き立ての熱いうちに山芋をすりおろして混ぜると白身魚のすり身のような生地ができ、柔らかさを保つことができる。

 

畑の豚肉 粒ソバ…粒の大きさは高キビよりやや小さめの立体三角。血管の老化を防ぎ、毛細血管や心臓を強くするルチンを含む雑穀として注目されている。鍋で簡単に炊け、さっと空煎りしてから炊くと、香ばしさが増す。

 この他、押し麦、ハト麦、アマランサス、キアヌ、シコクビエ、ワイルドライス、赤米、黒米などが紹介されている。

何もかもを変更してしまうというのは負担であろうから、何かしらを変更する もしくは取り入れるというのがいいのかもしれない。私はもちキビともちアワが気になっている。気になるとなんでもやってみないと気が済まない人間であるので、引っ越しなどが落ち着けばいずれ着手してみたいと思っている。

 

以前も触れたことがあるのだが、何に関しても「これでなければならない」という発想は極力もたないように気を付けている。そぼろは鶏肉でなければならない!と決めつけるのではなく、大豆のお肉やうるちアワを代用することができる。

あともう一つ触れたいことがあるのだが、こういった食材は万が一のときに保存がきくものが多い。例えば畜肉・乳製品・卵・魚介類は冷蔵庫で保管することができなければすぐに傷んでしまう食材である。ライフラインが閉ざされ、電気が使えなければ冷蔵庫はあまり長期的に使用することができない。数日間停電状態に陥ってしまった場合のダメージは大きいと考えられる。

しかし今回紹介した食材はもしもの時に常温でも対応できる食材が多い。雑穀は低温の冷蔵保管することが望ましいが、冷蔵庫が止まってしまってすぐに傷むというわけではない。またKAGOMEのレトルト食品は常温保管が可能である。当然湯煎して温めてから食べるのが好ましいが、そのままでも食べれないことはなかった。(公式が行っているわけではないので、おすすめはしない)

もしもの震災に備えるためにもこういった食品に普段から触れ、慣れておくことができれば、ストレスを減らすことができるのではないかと思われる。また台風の前日などに買いだめが起きて食品を買えなかった…という時も、普段からこういった食品を循環させつつストックしておけば安心である。もちろん、どこにでも売っている食材か…と聞かれると難しいが、そういったところを普段から開拓しておくのも良いかもしれない。

 

ちなみに今回紹介した雑穀以外にもたくさんの雑穀が存在する。とうもろこしや小豆などもあるので、自分が仲良くできそうなものを見つけて、そういった食材から始めてみるのもいいかもしれない。

www.bestamenity.co.jp

 

 

より よく・脱搾取

タイトルが珍しくおどろおどろしいものになった。ヴィーガンにしてもよかったのだが、あえてこれにしようと思う。この方が字面からお洒落さが消えそうな気がする。

最初に断っておくのだが、私はヴィーガンではないし、肉を摂取する側の人間である。先日食べたスモークサーモンは美味しかった。なのでヴィーガンになろう!!!というものをかきたいのではなく「ヴィーガンの人は何を訴えているのか」が伝えたいことである。

 

それでは、今回読んだ2冊について、ざっくりとまとめようと思う。 

 完全菜食があなたと地球を救う ヴィーガン

著:垣本 充、大谷 ゆみこ 

(①)

ビーガンという生き方

著:マーク・ホーソーン 

 (②)

1冊目の完全菜食…を紹介するには中田敦彦さんのYouTube大学がとても分かりやすく説明されているので、まずこちらを観てくれると解りやすいと思う。

www.youtube.com

 

ここ数年、ヴィーガンという言葉を聞くようになり、賛成派・反対派の意見が混濁し、デモ活動をしている様子などをみるようになったが、そもそもヴィーガンとはなんぞやという話である。ただただ肉を食べない人であるならば、ベジタリアンとは何が違うというのだろうか。

 

 ヴィーガンとは「肉や魚、卵を食べないだけでなく、牛乳やチーズ、ヨーグルトなどの乳製品、蜂蜜なども食べない完全菜食者」と訳されるベジタリアンのカテゴライズの1つである。

自身の健康保持だけでなく、環境負荷の少ない、地球にやさしいライフスタイルという考えが浸透してきた。 ①参照

もともとは1847年、マンチェスター聖書教育会員らによって初期キリスト教シンプルライフ への憧憬から「肉や魚は食べず、乳製品や卵の摂取は本人の選択に任せ、穀物、野菜、豆類の植物性食品を中心にした食生活」を行う運動が展開され、世界発のベジタリアン市民団体すなわち英国ベジタリアン協会が発足した。 ①参照

その後、ベジタリアンたちは各々のライフスタイルや思想であったりを広げ、様々に分化していく。そのうちの一つであるヴィーガンという言葉はその中で1944年にできたとされる。

べジタリアンのタイプ

ヴィーガン(完全菜食)…米・小麦などの穀物や、豆、野菜などの植物性食品のみを食べ、畜肉、魚、卵など全ての動物性食品の他、蜂蜜も食べない。

ラクト・ベジタリアン(乳菜食)…植物性食品に加えて牛乳や乳製品(チーズ・ヨーグルト)などを食べる。

ラクト・オボ・ベジタリアン(乳卵菜食)…植物性食品と乳・卵を食べる。

●ペスコ・ベジタリアン(魚乳卵菜食)…植物性食品と乳・卵・魚を食べる。このタイプには魚は食べるが、乳・卵は食べないタイプもいる。

●ポーヨー・ベジタリアン(鶏魚乳卵菜食)…植物性食品と乳・卵・魚・鶏肉を食べる。畜肉は食べない。

①参照

 ちなみにヴィーガンはさらに細分化される。

ヴィーガンのタイプ

●ダイエタリーヴィーガン…植物性食品しか食べないが、衣料品については植物性製品にこだわらない。

●フル―タリアン…植物が収穫後も死滅しないように、実や葉だけを食べ、根などを食べない。

●オリエンタルヴィーガン…植物性食品の中でも、五葷とよばれるニラ・ニンニクなどのネギ科の植物を避ける。

エシカルヴィーガン…食事だけでなく、化粧品や衣類などの生活用品全般で植物性のものを使用し、毛皮やダウン、皮革、ウール、シルクなどの製品を使用しない 

①参照

 ※ご‐くん【五葷】…からくて臭気のある五種の野菜。仏教では、忍辱(にんにく)、野蒜(のびる)、韮(にら)、葱(ねぎ)、辣韮(らっきょう)などの五つをいい、道教では、韮(にら)、辣韮(らっきょう)、忍辱(にんにく)、油菜(あぶらな)、胡荽(コエンドロ)をいう。
ともに、欲情や怒りの心をおこすとしてこれを禁じた。五辛。〔爾雅翼‐釈草五〕

参照:コトバンクより

kotobank.jp

 

一言でベジタリアンヴィーガンというが実はその実態は細分化され、それぞれの考えのもと行動していることがわかる。では彼らの考えは何であるのか。なぜそこまでのことをして、主義主張をするのか。

 

 いくつかのテーマごとにざっくりではあるが紹介したい。

●動物の権利

「動物の権利」の捉え方は二通りある。

第一は、動物を搾取と虐待から守る。ーさらには介入してかれらを解放する―社会運動としての動物の権利論。

第二は人でない動物も人と同様、内なる価値を具えた個の存在として、尊重されながら扱われる権利を持つという思想である。すべての動物は者であって物ではなく、人間から痛みや苦しみを与えられることなく生きる権利を有する。これを否定するのは種差別、つまり人間は人間独自の例外的な感性の数々(言語、自己意識、認知能力、魂など)を具えているので、他の種よりも道徳的に優越する、とみる考えに囚われている。

②参照

違和感をもったことはないだろうか。愛する犬や猫の命が脅かされたとしても、動物の愛護及び管理に関する法律では罰則が非常に軽く、罰則が「2年以下の懲役 または 200万円以下の罰金」。器物損壊罪の法定刑は「3年以下の懲役 または 30万円以下の罰金 若しくは 科料」である。あんなにも大切に、家族のように思っているペットを傷つける人間がいたのであれば、器物損壊罪などふざけているのかと言いたくなる。しかし現実はこうなのだ。

299navi.com

逆に普段食べている畜肉はどうであろうか。かわいそうとすら思わずに、頂いていないだろうか?この差は何であるのか。全ての生物は人もペットも畜肉も同じ命であるが、その扱いはこんなにも違う。随分前に読んだビートたけしさんのエッセイ本を思い出した。つむがれ方は覚えていないが、印象に残ったのは、人間なんてものは例え人口1億人が苦しんでいたとしても、自分の周りの人にその悲劇が舞い降りなければ関係のないことなのである、といったこと。誰しも自分に都合のいい面だけをみようとするところがある。それ以外を見ていたらきりがなく、生きていくことができないからである。

 

では実際、畜肉につかわれる動物たちはどのような扱いを受けているのだろうか。あくまでも悪いものの例ではあるが、私たちが口にしている畜肉はそうではないとは言い切れない。ならば私たちは、それを知らなければならない。もしかすると、屠殺されるその日1日だけが苦しみの日と思っていないだろうか。それであれば、以下は読まない方がいいかもしれない。また以下の引用は、海外(特に著者のアメリカ)での悪い一例である。日本で同様の扱いがあるのかは私には解らない。

 

 雌鶏…薄暗い鶏舎では金網の檻が数段に重なり、長い列をなしている。この「連結」ケージの1つ1つには6~8羽の瘦せ衰えた雌鶏がいる。大抵の場合、くちばしの先を切られてあたりをつつくこともできない。この切断は摂食にも大変な困難をもたらす。鳥たちは檻に狭く、きつく押し込まれているせいで羽を広げることすらできない。また、檻の下にある大きな肥溜めは鶏の排泄物を回収し、糞の悪臭は鶏舎に満たされている。1羽の雌鶏はわずかな金網の空間だけで寝起きして卵を産む。週に最低6個の卵を人間の消費用に産み落とし、およそ2年が経って体がボロボロになった末、檻から引き出されて「淘汰鶏」の屠殺場に送られるか、二酸化炭素でガス殺される。

 

肉用鶏…世界で肉用に買われる陸生動物のうち、桁外れに需要が大きいのは鶏である。肉用に飼われ殺される鶏、通称「ブロイラー」は、巨大な孵化場で殖やされた後、巨大な鶏舎で「肥育」される。多くの鶏は体が急成長する一方で骨の構造がそれについていかず、激増する体重を支えられない。結果、大半のブロイラー鶏は跛行性の脚異常を負う。七面鳥や鴨も同様である。

 

豚…工場式畜産で飼われる豚は、遺伝子の操作を重ねられた結果、恐ろしく病気に脆弱である。パック詰めにされる予定の豚は巨大畜舎に拘留される。数千頭の仲間とともにスノコ床の上にたたずみ、糞はスノコの隙間から落ちて地下の大きな肥溜めに集まり、有毒の硫化水素を発生させる。工場式畜産の鶏や牛と同じく、豚たちには各種の抗生物質が与えられ、それが病気を防ぎ、体重を増やし、消費者が好むとされる紅がかった色を肉に加える。そして生後3~6か月で彼らは殺される。(豚の自然な寿命は約15年)母豚は長く生かされ、生後7か月で人工的に妊娠させられて以降、年2度の割合で子を産まされる。終わりのない妊娠・出産・授乳のサイクルに置かれる雌豚たちは、まず動きを禁じる狭い妊娠豚用檻に隔離され、出産間近になると同程度の拘束的な分娩房に移される。ただ前に進むこともできず、大抵は自らの子の姿を見ることすらできず、子豚たちは生後20日ほどで母から引き離され、麻酔なしで去勢され尾を切られる。母親もまた「廃用」と判断された時点で屠殺される。

 

牛…一頭一頭を繋ぎ檻に留める。牛は体の向きを変えることも、気持ちよく寝そべることもできない。アメリカの酪農業界は選抜育種、薬剤投与、さらに遺伝子操作を加えたモンサント社の牛成長ホルモン、通称rBGH(日本では使用が禁止されている)によって、牛を乳生産の巨大機械にかえてきた。結果、牛たちの乳腺は著しく膨張し、しばしば地面に触れるほどまで垂れ下がり、痛みで時には死につながる細菌感染、乳房炎を起こす。また、牛が泌乳を続けるには子を産まなければならないため、起業は牛に人口受精を施し、9か月で子が生まれたら親子を引き離して、母親の乳(本来なら子を養う乳)を人間の消費用に販売する。4~5年の間に子を産みながら年間約1万キログラムの乳を産出したあげく、体が「廃用」となれば屠殺場へおくられる。かたや雄の子牛は檻に数か月の間繋がれ、筋肉を使えない状態で母乳に代わる調合乳と抗生物質を強制給餌された末、幼いうちに殺されて子牛肉となるか、肥えさせられた末、殺されて牛肉となる。雌の子牛は母と同じ運命をたどる。

無論食肉業界の牛たちも同じ母子隔離に遭い、肉用に育てられる子牛は鎮痛剤も麻酔もなしに去勢され、焼き印をおされ、他の諸々の身体損傷の責め苦を味わう。除角は、牛の角組織は軟膏型の腐蝕薬によって焼き落されるか、えぐり取られるかする。業界は牛の角をなくせば作業員にも他の牛にも安全だというが、角には体温調節を助けるという重要な機能がある。その後、子牛たちは込み合う肥育場へ送られ、出荷体重に達するよう抗生物質と成長ホルモンを盛った不自然な餌を与えらえる。最期はほとんど水も餌もなしに何キロも先の屠殺場へ送られる。しかし解体ラインの流れは速く、停止もしないので、おびえる牛の一部は意識を保ったまま通過する。かれらは喉を切られてうなりのたうち、足かせをはめられて頭上のレールに吊り下げられる。牛たちの4分の1がこのような形で、自分の身に何が起こっているかを完全に分かったまま殺されてゆく。

 

魚介類…従来、魚のほとんどは自然界で捕らえられ、トロール船の網に囲われて水揚げ後に窒息死するか、全長100キロメートルにもなる延縄から何千本とぶらさがる餌付きの鈎針に突き刺されるかの運命をたどった。延縄漁は相手を選ばないので、水産会社が狙う魚種よりもはるかに多くの生物(イルカ、醒め、ウミガメなど)を捉えること[混獲]で悪名高い。企業の捕獲した生きものの実に半数は海に廃棄される。

また新しい産業、養殖業が急成長している。養殖業は今や、世界の魚の半数を供給するが、魚たちは海洋もしくは淡水の養殖区間に隙間なく押し込まれる。病気が蔓延しやすいため、抗生物質を盛られつつ、牛や羊や豚の血と骨、毎年何十億と殺される鶏たちの羽根、それに魚粉と魚油からなるペレット状の安い餌料を与えられる。養殖場での繁殖は多くが、絞り出しと呼ばれる魚の腹部に圧力を加えて卵を絞り出すという手法を用いて行われる。

②参照

 続いてファッション業界で消費される動物たちをみてみる。

革…革の大半は牛由来だが、ワニ、バッファロー、象、山羊、馬、豚、カンガルー、ダチョウ、鮫、エイ、羊、蛇の皮膚も使われる。革は食肉産業の副産物ではなく、大変な儲けになる主産物の1つである。それどころか動物の皮膚の売り上げによって肉の価格は安く保たれているので、革は実のところ工場式畜産業を助けていると論じる批評家もいる。ただし搾取される体を変えられるのは肉用の牛だけではない。皮革業界は酪農出身の牛も利用する。

 

毛皮…人類は動物を食べだした頃から毛皮をまとっていた。かつては生存に必要とされたであろう毛皮も、植物や合成の繊維が発達すると廃れた。今日の毛皮は贅沢と残酷さの象徴であり、この服飾のために無数の動物が殺されている。毛皮用に使われるミンク、チンチラ、あらいぐま、狐、ウサギ、黒貂のうち約85%は毛皮用動物養鶏場で飼育・屠殺され、残りは自然界で罠猟の犠牲となる。罠猟でも養殖でも、動物を殺す際には毛皮が傷つかないよう、首折り、ガス殺、水没殺、肛門電殺、窒息殺、毒物注射などの手が使われる。

 

羊毛…オーストラリアの羊毛産業は世界最大だが、そこで実践される特に浅ましい慣行はミュールジングといって、ほとんどが麻酔なしで子羊の臀部の両側から三日月型に皮膚を切り取り、毛の覆いや皮膚のたるみ、糞尿の汚れの無い傷口をつくる手法である。またアメリカではおよそ9割の子羊が、羊毛の中に糞が溜まるのを防ぐ目的から尾を切られる。この他、養殖や飼育の場所に関係なく、羊は羊毛産業に苦しめられる。毛刈りは気候の暖かくなる春に行われることになっているが、大きな群れを抱える牧場主は早すぎる時期に作業を始め、寒さをしのぐのに必要な覆いを羊から剝ぎ取ってしまう。かれらは毛のないまま、外気にさらされる。オーストラリアでは毎年、毛刈りが早すぎて寒気にさらされ息絶える羊が100万頭前後を数える。羊毛用の羊は毛が薄れて儲けにならないとみられたら殺される。3歳から4歳(自然な寿命は20年)で羊たちは屠殺場へと運ばれる。

 

象牙象牙取引は野生動物やその身体片を売買する巨大産業の一角をなし、アフリカ象の顔から叩き切った牙を地球の彼方へ密輸する。途方もない残忍さを伴うのに加え、アフリカの最貧困地帯で行われるこの違法取引はそこから生まれる莫大な資金によって、組織化された犯罪シンジケートやテロリスト、腐敗した政治家をうるおす。

②参照

この他、実験に使われる動物たちや娯楽に使われる動物たちがある。知りたくもなかった背景を知ってしまったと思うかもしれない。私はそうであった。今まで食べてきた肉にはきっと海外のファクトリーファーム(工場式畜産場)で育てられた肉もあるはずである。私は過去、摂食障害の中で過食嘔吐を繰り返していたことがある。なんということをしてしまったのだと、胸が痛かった。

また私は昨年まで鞄屋で働いていた。そこで働いているときも途中から同様の違和感があった。にも関わらず、私は見ないふりをしてきたのだ。自分の収入のためには、合成皮革ではなく、本革の革を褒め奉り、消費者の購買意欲を促さなければならない。なんと私は自分主体な人間だろうか。

消費の上でも、販売の上でも私はこういった行為への一端を担ってしまっていたのだ。

 

次に人から人への抑圧について。

残念ながら、従来の脱搾取派(ビーガン)は人でない動物の権利を訴えるのに一生懸命で、解決の鍵が種差別と他の抑圧の共通基盤にあることを把握できていない。脱搾取派になることが思いやりの実践であるなら、本当の脱搾取の倫理は思いやりをすべての存在に広げなくてはならない。他者からの抑圧から利益を得ることを望まないという理由で脱搾取派になったのなら、何者の抑圧にも加担するまいと考えてこそ理にかなう。

②参照

種差別とは人種差別、性差別、同性愛差別、年齢差別、階級差別、体型差別、障がい者差別、宗教差別などがある。先に述べた「動物の権利」は当然、畜肉やファッションで消費される動物たちだけでなく、人に対しても同様に存在すべきなのである。搾取も虐待もされず解放されるべきであり、どんないかなる理由でも尊重されるべきなのである。

動物だからと上にあがめるのでも下にさげるのでもなく、全ての命がフラットな土台に置かれているということが大事だと私は思う。

 

ここまでがよく耳にするヴィーガンの主張なのではないだろうか。消費される動物たちがかわいそう!だから食べない/使わないという主張である。しかし実際のヴィーガン達の考えはそこだけではないのだ。(もちろん、これだけの人もいるだろうが)

 

●飢餓

日本人の我々には少し遠い話のように聞こえるかもしれないが、今地球上で飢餓で苦しんでいる人がどれくらいいるかご存じだろうか。

2020年版「世界の食料安全保障と栄養の現状」報告書(原題:2020 The State of Food Security and Nutrition in the World)では、飢えに苦しむ人の数は2019年に約6億9,000万人にのぼり、2018年から1,000万人、5年間で6,000万人近く増加したと推定しています。高い価格により食料を手に入れられないことは、何十億もの人々が栄養を十分に摂取し健康でいられないことも意味します。

飢餓人口はアジアで最も多いものの、最も急速に拡大しているのはアフリカです。報告書が指摘しているように、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックによって、2020年末までに1億3千万人以上の人々が慢性的な飢餓に陥るおそれがあります(パンデミックにより急性の飢餓が急増した場合、この数はさらに増える可能性があります)。

www.unicef.or.jp

2019年の総人口は77億1,500万人、そのうちユニセフの計算では約6億9,000万人が飢えて苦しんでいる。少なくとも11人に1人は飢えで苦しんでいる計算になる。ヴィーガンは飢餓問題にも対応できるという。

国連食糧農業機関(FAO)などの統計によれば、1000㎡の土地から得ることのできるたんぱく質の量は、大豆は39.9㎏、牛肉2.2㎏、大豆は牛肉の実に20倍近くの効率よくたんぱく質を得ることができます。

このようなわけで、肉食1人分の食事は菜食20人分に匹敵すると言われます。飼料を穀物にかえて換算すれば、肉食1人分の食事は菜食10人分に匹敵します。

①参照

①では年間生産される穀物量は約26億tとされている。これがもし、世界中の77億人に平等わけられたとすれば、一人当たり約335㎏以上は食べることができるという計算である。

https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/jki/j_usda/attach/pdf/index-2.pdf

(米国農務省穀物等需給報告 参照) 

しかしこの穀物は貧しい人達に届く前に畜産業で消費されているのが現状なのである。

世界の水、穀物、耕作可能地の大半は動物の飼育と屠殺のために用いられるのだから、これらの資源が植物のみで人類を養うことに向けられれば、地球上の誰もが飢餓に困らなくなるだろう。しかし食料正義に携わる活動家の多くはおそらく、現実はもっと複雑だと言うに違いない。かれらは例えば、現在でもおよそ120億人の人口を養えるだけの食料は生産されているが、9億人以上の人々は日々必要な栄養を摂取できていないと指摘するだろう。

問題の一因は世界経済にある。今日貧困に陥って食料を変えない人々は、脱搾取の楽園にあってもなお食べ物を買う力をもてそうにない。

もう一つの問題は食料配分で、多くの人はただ単純に、必要なものを得られない状況にある。政府という要因が一つ、それに金欲と腐敗が、誰が何を得るかに影響する。さらに食のシステムは利益を最大化しり形にできていて、一握りの企業が食料供給の大部分を支配する。

②参照

ただし、このようにどれだけ食料が配分される量ができたとしても、それが貧しい人々に届かなければ意味がない。飢餓に関しては、そこから改善していく必要があると私は思う。

 

●環境

現在、人間活動の影響により地球全体で多くの種が絶滅の危機に瀕している、というのはよく耳にする話であると思う。推定100万種が絶滅の危機に瀕していることが示唆されている。またこの絶滅のスピードは年々上がってきているため、早急に対処しなければならない。

参考:IPBES 2020年3月発行

www.iges.or.jp地球温暖化 と聞いて一番に浮かぶものといえば、CO2やメタンなどの温室効果ガスではないだろうか。地球の平均気温の上昇を産業革命前のレベルから2℃未満に抑えようと方々で頑張っているのだが、道のりは険しい。畜産業ではどうだろうか。

 食生活に関わる温室効果ガスの排出量は、肉類の消費関連が最多だとされる。

豚肉の場合、小売店で並んでいる骨などを取り除いた精肉1キロ当たりの排出量はCO2換算で約7.8キロとされる。これは、えさの生産や飼育、食肉処理などの過程の排出量を合算したものだ。その後、小売店で売られるまでに、さらに約3.3キロ排出されるという。7.8キロの内訳では、えさのトウモロコシや小麦の生産・輸送が30%、ふん尿処理が50%を占めている。

 

国連食糧農業機関(FAO)の2013年報告によると、世界の温室効果ガスの総排出量のうち、実は畜産業だけで14%に上るという。特に多く排出するのが牛で、畜産業のうち65%を占める。主な要因は、牛がする「ゲップ」。国内で育てられた黒毛和牛の場合、頭や内臓を取り除いた骨付きの枝肉1キロ当たりの排出量はCO2換算で23.1キロ。うち、ゲップなどで出るメタンが半分余りを占めた。
牛は牧草などを胃から口に戻しながら食べる「反すう」の際、メタンを発生させる。農研機構ではメタンの抑制や育成期間短縮につながるえさなども研究しているが、温室効果ガス排出削減の効果の大きさは、まだ分からないという。

www.tokyo-np.co.jp

2006年報告書「家畜の落とす長い影-環境をめぐる課題と選択肢」の中で、国連は動物性食品の生産がGHG(温室効果ガス)排出の18%(全世界の自動車、船舶、飛行機、電車から排出される二酸化炭素の総量以上)を占めると述べ、以来、食肉・酪農産業と地球温暖化や気候変動の結びつきを指摘することは、雑食生活を批判する主要な切り口となった。

研究によれば、畜産由来のGHG排出はメタンと亜酸化窒素が中心で、前者の温室効果二酸化炭素の86倍、後者のそれは268倍にもなる。

②参照 

しかしこれには反対意見も多くみられる。2006年の情報であれば随分と古いし、またそうであるのであれば、農業側も示すべきである。残念ながら比較できる資料を見つけることができなかった。

ちなみに、2007年にはノーベル平和賞を受賞したパチャウリ博士は「肉の消費を減らせば、地球温室効果ガスを効果的に減らせる」と主張している。その言葉を受けて2009年、ポールマッカートニーはミートフリーマンデーいう、週に1日だけ肉を食べない日をもうけ、それによって地球温暖化を防止しようとしている。

 

この他、水問題(旱魃や家畜排せつ物による水質汚染)や、畜産業のために自然が伐採され野生動物が追いやられるという問題がある。

地球上の陸地の約1/3を占める熱帯雨林は、二酸化炭素を吸収して酸素を放出する光合成をおこなっています。この巨大な光合成は、温室効果ガスの約65%を占める二酸化炭素の増加を阻止する重要な役割を果たしてきました。ところが、1960年以降、中南米では熱帯林を放牧地にするために開墾しています。ブラジルのアマゾン流域では約70%、コスタリカでは約80%の熱帯雨林が放牧地などの開墾のために消滅しています。 

①参照

畜産業により大量に排出されたとされるCO2を今までは熱帯林が吸収してなんとかなっていたが、現在では畜産業のためにその熱帯林が消滅している。少し考えれば、この後どうなってしまうのかが解るような問題ではあるのだが、今も木々は消滅し続けている。

ヴィーガンたちは畜産業が縮小していけば、これらの環境問題も比例して縮小していくと考えているのである。単純計算ではあるが畜産業をボイコットをすることにより、消費量が減れば、生産する量も少なくなっていくということである。

 

●健康

2015年にWHO国際ガン研究機関(IARC)は「人に対する発ガン性がある」もののグループに加工肉をあげている。このグループに他にあるのは、アスベスト放射線、タバコ、アルコールなどがある。次に、「おそらく発ガン性がある」もののグループには畜肉があげられている。このグループに他にあるのは紫外線などがある。肉はガンのリスクを上げてしまう食べ物といえるだろう。逆に菜食であれば、生活習慣病心筋梗塞脳卒中、高血圧症、糖尿病、骨粗しょう症認知症、そしてガンなどを防止すると考えられている。

 

こういった様々な要因から、ヴィーガンたちは畜肉を摂取する生活をやめ、菜食主義になろう!と声を上げているというわけである。しかしながら私はあくまで中立な立場であるので、逆の意見も考えてみようと思う。特に②の資料はそういった視点からもみられていてとてもよかった。

 

●疑問その1 栄養は?

たんぱく質は大豆やブロッコリーなどから食物性たんぱく質を摂取することができるが、肉や魚を摂取しないことで得られない栄養がでるのではないか?という疑問がある。その最も有名なものがビタミンB12だろう。よくヴィーガン反対派の方々がこれを議題にあげている。

ビタミン B12 は、奇数鎖脂肪酸アミノ酸(バリン、イソロイシン、トレオニン)の代謝に関与するアデノシル B12 依存性メチルマロニル CoA ムターゼと 5─ メチルテトラヒドロ葉酸とホモシステインから、メチオニンの生合成に関与するメチルビタミン B12 依存性メチオニン合成酵素補酵素として機能する。

ビタミン B12 の欠乏により、巨赤芽球性貧血、脊髄及び脳の白質障害、末梢神経障害が起こる。 消化過程は食品ごとに異なり、一緒に食べる他の食品によっても影響を受ける。正常な胃の機能を有した健康な成人において、食品中のビタミン B12 の吸収率はおよそ 50% とされている 。食事当たり2 µg 程度のビタミン B12 で内因子を介した吸収機構が飽和するため、それ以上ビタミン B12 を摂取しても生理的には吸収されない。よって、ビタミン B12 を豊富に含む食品を多量に摂取した場合、吸収率は顕著に減少する。また、胆汁中には多量のビタミン B12 化合物が排泄されるが(平均排泄量 2.5 µg/日)、約 45% は内因子と結合できない未同定のビタミン B12 類縁化合物である 52)。胆汁中に排泄される真のビタミン B12 の半数は腸肝循環により再吸収され、残りは糞便へ排泄される。
(中略) 正常な腸管吸収能力を有する健康な成人における必要量が得られ、1.0 µg/日となる。この値に、吸収率(50%)を考慮し、推定平均必要量を 2.0 µg/日と算定した。推奨量は、推定平均必要量に推奨量算定係数 1.2を乗じ、2.4 µg/日とした。

www.ejim.ncgg.go.jp

①での回答…ビタミンB12の推奨量(RDA)は成人女性で2.4 µgで、出生時には千倍近く貯蔵している。必要量が微量であること、65~75%が再吸収されることから欠乏症は稀である。ただし、長期間にわたり植物性食品しか摂取しないヴィーガンの母親から生まれた子供にはビタミンB12サプリメント酵母など)を与えることを推奨している。

②での回答…ビタミンB12サプリメントを摂ることを推奨。またノリはレバー以上のビタミンB12を含有している、との記載。

 どちらも最終的にはサプリメントで摂取しようということであった。これに関しては、サプリメントが大丈夫だという人はそちらを摂ればいいと思うし、私はサプリメントが苦手なため(何故か腹痛がおこる)、やはり食物から摂るという方法が一番お手軽なのではないだろうかと思う。

 

●疑問その2 作物の収穫も屠殺同様に生物を殺すのでは?

こちらもよく議論されている議題だと思う。農薬の関係や、作物収穫の関係で虫やネズミなどの動物を殺してしまうことは、確実にありうる話なのである。全ての動物を…というのであれば、それらの動物も保護されてしかるできなのではないだろうか。

②の回答…残念なことに工業化した作物収穫の過程では現にいくらかの動物が殺される。しかしだれだけ殺されるかは分かっていない。年間、世界で700億もの陸生動物が、商業漁業では3兆もの魚介類を殺している。世界の作物の大半は人間ではなく畜産利用される動物の食料となるのだから、農地の動物が死ぬのを本当に気にするのなら、やはり脱搾取派になるのがよい、とのこと。

 

確かに農作による被害は0ではないが、0に近づけるためには、畜産の縮小→餌が減る→農作も自然と縮小という図式が必要だということ。

 

●疑問3 農産業はクリーンであると言い切れるのか。

これまで畜産業に対して、いかにBLACK企業であるかと連ねてきたわけではあるが、では、農産業に関してはどうであろうか。たしかに日本では労働法などがそれなりにしているため児童の労働などはないかもしれない。しかし海外はどうだろうか。今読んでいるカカオの本によると、そうは言えないのが現状ではないのだろうか。また綿花に関して調べた時も、児童などが農薬にまみれて綿積みをさせられているという映像を見たことがある。似た状況が農産業にもいえるのではないだろうか。

②の回答…農場労働者について…果物、野菜、穀類をすべて自家栽培するのでもなければ、世界の農場で汗水を垂らす人々に多大な借りをつくることになる。今日の私たちは食べものの大半を輸入する。食物の出所がどこであれ、その背景には一般に過酷な労働条件のもと果物や野菜を手作業で植え、育て、摘み取り、パックに詰める男女や子供の働きがある。かれらは農場で毒性の化学物質や雇用主のハラスメント、それに大抵はひとい気温にさらされながら、何とか生きていこうと必死に働く。すでに世界でも最悪の苦境に置かれている農場の移住労働者や季節労働者たちは、過酷な生活条件、低賃金、劣悪な労働に苛まれる。辱めに加えてケガも負い、法的権利も不充分とあって農場労働者の仕事は世界で最も危険な業種の一つとなっている。アメリカの農業労働者の平均寿命がわずか49歳なのも驚くにはあたらない。

特に油断ならない危険は、女性労働者を絶えず脅かす性的嫌がらせと身体暴力だろう。孤立していて、権利の知識がなく、法的地位を持たない未登録移民の女性は性犯罪者から「理想的な獲物」とみなされる。

児童の労働について…アメリカの労働法に抜け穴があるせいで、農場はあらゆる年齢層の子供たちを両親とともに働かせることができる。しかも親が許せば農場での児童労働は12歳から可能になるが、実際はもっと幼い年齢から働かされていると考えられる。同年齢の子供たちが学校へ通うかたわら、かれらは週に6日から7日、1日に10から12時間の労働に従事する。ガーナとコートジボワールの農園は世界のカカオ豆生産の6割を担うが、最悪の児童労働を用いることで悪名高い。若ければ5歳で子供たちは人身売買され、隣接する国々のカカオ農園で、なたを使う豆果の収穫、チェーンソーを使う土地の開拓、作物への農薬散布といった危険な業務を課せられる。夜は拘束され、逃亡を試みれば厳しい体罰を受ける。完全に姿を消した子供たちもいる。

このように農産業だからクリーンというわけではなく、人が人を人と思わないBLACK労働が実際に今も行われている。農作物ならば、全てクリアというわけではないことを念頭に置いてほしいと私は思う。

 

●疑問4 ヴィーガン食品は値が張るのではないか。またそういった食品が身近に販売されている場所というのは限られるのではないか。

ヴィーガンたちが買える環境にいるからといって、全ての人がそうではない。私も最近、ソイミートなどの代替品を使用しているが、やはり普通にひき肉やレトルトカレーを購入するよりも高い。また、使用しているスーパーではそういったことに配慮された食品というのはまだまだ少ない。なのでわざわざAmazonで購入しているのだが、商品を運搬するのには確実に温室効果ガスなどが発生している。やはり身近なところで販売されていないとなると、難しいだろう。ひたすら野菜だけをシャクシャクしているのが平気という人であれば問題はないと思うが。

②の回答…この点は脱搾取派のあいだでも意見が割れる。野菜、果物、豆類、ナッツ類からなる食事は理論的には肉・乳・卵製品を食べるよりも安く済むはずだが、実際には脱搾取の中でも自然食材だけを食べる人は少ない。「肉もどき」を食べることが多い。これは元の動物性食品よりもだいぶ高い。

しかしよく見落とされる大きな点はヴィーガン食品が地域によっては手に入らない問題である。自分が農家市場で農作物を買うからといって、誰もがそうできると考えるのは禁物である。それどころか、誰もがそこでの買い物を望んでいると考えるのもいけない。ある人が構築する「理想」体型に合わないからといって、その人を不摂生な人間と思ってはいけない。

まとめると、未加工の食物のみをどっさり買うなら、肉・乳・卵製品よりも安くて済むはずだが、できるとしても現にそうする脱搾取派はほとんどいない。ただそれとともに、菜食は医療費も抑えられることを忘れてはいけない。

 今はいろんな企業がベジミートといった代替品を開発している最中だと思うので、そちらに期待したいと思う。

 

ここまでヴィーガンについて引用を交えて紹介してきたが、およそ文字数が13900を超えた。なかなかな重量になってしまった。ヴィーガンとは、ヴィーガン行動理念は、ヴィーガンの反対からの意見は…と見てきたが、ヴィーガンとは奥深いものなのだと思う。

私の考えとしては…私も以前エシカルのことを書いたわけで、そういったことを配慮したいと思う人間である。動物の権利や地球温暖化の話を聞いたあとで焼き肉食べ放題にいきたいとはやはり思わない。ただやはり100%を目指すのは苦労がある。それならばいきなり0にするのではなく、ポールマッカートニーがしたように例えば週に1日から。年間30㎏摂取していたものを10㎏にするだとか、そういったことから始めてみればいいのではないかと思う。 実はこの2冊を読む1か月ほど前から No meat dayをもうけている。毎日食べないというわけではなく、決めた日数そういった食品を摂取しないようにしている。月経周期に合わせて行っているのだが、逆にファスティング中はヨーグルト生活であるので、どうしても乳製品は摂取することになる。また、サプリメントが苦手なため、ビタミンB12を摂取できる食品は、私のわがままであるのだが、やはり摂取したいと思う。完全にやめたのは加工肉の摂取でソーセージやハムなどは摂取しないことに決めた。このまま他の食材にも広がっていくのかもしれないし、逆にもとに戻るかもしれない。

脱搾取の倫理は全ての搾取と不正を許さないものであるべきだと私は思う。食や動物をめぐる関心だけでは足りない。

 この境地までいくにはまだまだ時間がかかりそうである。全ての食品になりがしかの うす暗いものが存在すると思うからである。だからこそ、エシカルの話と重複してしまうが、まずは背景をしる努力が必要だと思う。何もすべてのものじゃなくていい。自分が好きなもの、普段よく使用するもの、そういった些細なことから興味を持ってほしいのだ。もちろんそれは義務ではないし、聞きたくないことを聞けと言うつもりはない。ただ、なんとなく最近流行りだからヴィーガンをやってみよう、なんとなく主張がうざいからヴィーガンを否定しようというのであれば、一度書籍に当たってみるのもいいのではないだろうか。

ちなみにヴィーガンに関してはこれで終わりではなく、次の記事ではソイミートについて書きたいと思っている。①の図書は代替品に関して多く記載されていたので、それを引用しつつ、実際に食べてみた感想などを述べれたらと思っている。またカカオについても現在学習中である。

 

15000字に到着しそうであるので、この記事はここまでにしようと思う。

 

より よく・こねる

やらなければならないというわけではないのだが、やりたいことが溜まりすぎた時。頭の中がパンクして、やることはあるのに何もしない状況に陥ることがよくある。自分が欲している事柄であるのに、現実逃避したくなるのは何故だろうか。積読が溜まりすぎると読む気が遠のいて別の本を買ってしまうというような、似たような似ていないような話である。

 

数日前は現実逃避に米粉をひたすらこねていた。本当は米粉だけでしたかったのだが、それでは残念ながらボソボソとして纏まらないので強力粉も入れている。ひたすらこねるだけこねる。禅のように感情が浮かんでは、その感情を追いかけることもなく、ただただこねる。

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 有難いことに、割と手先は器用な方だと言われる。何かを形成するという作業が比較的 好きである。こねてこねて発酵してねかせた生地を良い感じの形に形成する。
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少しだけ蜂蜜を入れた熱湯で両面数十秒ごとゆでる。ほんの少し、色味が変わってくる。
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 我が家にはオーブンレンジなんていうしゃれた物はない。ちなみに掃除機もなければ、炊飯器もない。買う必要がないからである。今回はクッキングペーパーを敷いて、そのうえにのせて香りがしてくるまで焼く。だいたい十分くらい焼くと香ばしい、小麦が焼ける香りがしてくるのである。ひっくり返すと、良い色に焼け、その蒸気と香りに私も蒸される。
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 今回何を作っていたのかというと、先日プチ ハマリしたベーグルもどきである。しかしながらフライパンでやくので おやきのような感じになる。
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 全体が米粉のおかげでモッチリとしている。味もなかなか及第点ではないだろうかと自画自賛する。

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しかしながら一気に焼いてしまうと、食べ切れないので生地だけそのまま冷凍する。…というよりは、我が家のIHクッキングヒーターさんがギブアップ宣言をしたので諦めた。

 

夜からブルーベリーベーグルを作るぞ! - YouTube

何故唐突にベーグルをしかも夜から焼き始めたのかというと、藤原史織さんのYouTube配信をみたからである。最近のマイブームは史織さんのチャンネルで、フォカッチャやスコーンをわやわやと制作しているのがなんとも楽しそうなのだ。焼き上がりなど、ときたま映像も見るが、大体は音だけで楽しんでいる。

 

YouTube動画をBGM替わりに流すのが好きである。何かしらの音、できれば誰かの話声を聞いているのが好きである。TVはあまり好きではない。気が向けばフルカフェとブラタモリグレーテルのかまど(Eテレ御用達)を見るくらいである。どうもTVは騒がしく、もしくは無駄に心のエネルギーを持っていかれる。そんな感覚がある。引っ越しの際に持ってきた物のいらなかったランキング堂々の第一位がTVであろう。最近はDVDプレイヤーとして活躍してくれている(ノートPCでもできることだが)。

そういえばTwitterのスペース機能なるものがあるが、あれもできれば発言せずにラジオ感覚で聞いていたい。適度に相手をしっていて、でもほとんどのことを知らない人々。大抵の場合は顔も知らないフォロイーの方たちが雑談であったり、何かしらを話しているのがなんともいえない不思議な感覚になる。もちろん、中に混ざって会話することも楽しいのだが、聞いているのが個人的には一番好きかもしれない。

 

これだけTVやネット配信が普及しても廃れることのないラジオはやはりすごいのかもしれないと最近よく思う。最近はYouTubeをラジオ代わりにしているのであまり聞けていないのだが、ラジオとの付き合いは中学生の頃からで結構長い。当時はベース吉本のラジオにフットボールアワーチュートリアルたちが出ていて、そのラジオを毎晩聞いていた。土日の夜から明け方まではアニメ系のラジオが多く、テニプリハガレンのラジオを聞いたり、アニメ系の音楽ラジオを聞いたりと楽しんでいた。ここ数年はKinKi Kidsのどんなもんや や 声優さんのラジオがラジコなどで配信されるのを聞いていたくらいであろうか。

 

ベーグルとはずいぶんと話の内容が離れてしまった。

 

何故ベーグルとラジオの話をしたのかというと、代用を提案したいからである。

何事もこれはこれでなければならない と頑なになってしまうと融通が利かなくなってしまうから。今回のベーグルは強力粉に米粉を混ぜ、オーブンレンジの代用をフライパンに任せた。TVはDVDプレイヤーの代用となり、YouTubeはラジオの代用となっている。

 

オーブンレンジの件で少しふれたが、我が家には掃除機も炊飯器もない。代用があるので、必要がないからである。普段の掃除は小箒とクイックルワイパーで充分である。我が家は冬場以外はラグを敷かないし、ラグは洗濯可能なものにしている。炊飯器は一人分であればミルクパンで簡単に炊くことができる。時間も給水に冬1時間、夏30分かかるが、あとは10分炊いて、10分放置するだけ。何も難しいことはない。

 

このように代用できるものというのはあちらこちらに存在する。〇〇がないからできない で終了してしまうのではなく、では××で代用できないだろうか と発展していみるととても面白いと思うのだ。ネットでベーグルの焼き方 と検索するだけでいろいろな方法が出てくる。今手元にある駒は何であるのかを考える。そしてこの方法なら完璧に同じとは言えなくても近しいものは作れる。やってみたい、という感情を満たすことができる。

 

私は欲しいものがあったとき、まず作れないかを考える。例えばパスケースが欲しいとする。パスケースは定期券・バス定期・クレジットカード1枚・図書館の利用者カードが入れれるものがいい。しかしながらこの図書館の利用者カードが若干大きいとする。普通のカードケースにも入るのだが、若干入れずらい。それが面倒なのだ。作ってしまえば自分好みの大きさにできる。手元にある駒を応用や代用しながら、自分が欲しいものを目指す。それが楽しい。

 

代用できる何かをみつけて、やりたいことを諦めないで済むのなら万々歳ではないだろうか?

 

より よく・エシカル

ethical(エシカル)という言葉をご存じだろうか。

最近はSDGsなどが広がってきた関係で、エシカルもトレンドワードになってきているように感じる。今回は以前書いた記事を元にその後更新された情報を交えつつ、綴りたいと思う。

 

まずエシカルとは、倫理的な・道徳的な などの意味を持つ言葉である。そういうとお堅くなってしまうので、「法律で決められているわけではないけれど、こうした方がいいと思っている物事」くらいの感覚でいいのではないだろうか。

例えばプラスチックゴミについて。当然便利なものであるので使うのには何ら問題ない。むしろプラスチック製を用いた方が良い場面も多い。ただ、過剰包装をさけて使用するというのは地球環境の面で言えば、ちょっといいこと になりえる。

 

2020年の9月からは無印良品の一部店舗では量り売りがスタートしている。個包装ではあるのだが、自分が必要としている量を自分で選んで購入することができるため、食べ切れなくて捨てるといったフードロスが減らせる。しかし残念ながら私の最寄りにある店舗では実践されていない…導入してほしい…。

ryohin-keikaku.jp

 また少しでもゴミを減らせるようにと、繰り返し使えるボトルも販売されている。ケースのみを購入し、あとは無料で詰めることが可能である。こちらは衛生面的にどうなのだろうかという疑問が残るのだが、こちらもいい取り組みだといえるのではないだろうか。

www.muji.com

他であればスターバックスコーヒーではタンブラーを持ち込みすると割引を受けることができるし、このように上げだしたらきりがない。

 

こんなふうに様々な企業が環境問題を考慮した商品を販売している。それが現在のトレンドなのではないだろうか。

 

私がエシカルに興味をもったきっかけになった本を紹介したい。  

ファストファッションはなぜ安い?

著者:伊藤和子

990円ジーンズがつくられるのはなぜ? 

著者:長田華子

 

この2冊は私たちの生活の中で流通しているファストファッションを中心に、「なぜその価格が可能なのか?その裏側は?」が綴られている。

 

考えてみてほしい。何故、こんなにも安く服が買えるのか。大量に製造することが可能なのか。その話に至るには私の過去について少し綴りたいと思う。

 

以前、「より よく・ミニマリスト」という記事でも書いたのだが、私は元マキシマリストな人間であり、汚部屋の中には大量の服が溢れかえっていた。特に大学生の頃がひどかったのだが「服は数を持っていなければいけない、そうでなければお洒落ではない」という強迫観念のようなものがあった。お金はないのでとにかく安くて、かつ他の人がもっていなさそうな服を求めていた。ベーシックな服は合わないと、着回しの効かない特殊なものばかり着ていた。それは逆に着る服の幅を狭めて、大量の服があるのに着るものがないという状況に陥っていた。

 

それからしばらくして断捨離をはじめ、クローゼットの中に全ての服が収まる生活を送っている。

ふと断捨離後のクローゼットを見直して気付いたのは、あれほど持っていたファストファッションがほとんど処分されていたということだった。何故だろうか?

安かろう悪かろうという話ではない。私のクローゼットの中には必要としているものだけが収納されている。そこまで高価なブランドではないが、それでもお気に入りのショップで購入した無地のワンピースやブラウス、柄があっても自然な花柄やドット柄におさまっていた。使いまわしのきかない奇抜な服やファストファッションで買った思い入れのない服は処分の対象だったのだ。

 

そこでさらに考えた。なぜファストファッションに思い入れを持てなかったのだろうか。買い方に問題があるのだろうか?ファストファッションを購入する際、どれくらい考えて購入しているだろうか。

今もっている服に似た物はないか。どの服にあわせたらいいだろうか。どこに収納すればよいであろうか。この服はいったい何年くらい使い続けることができるだろうか。そこまで考えて購入したものであっただろうか。

残念ながら私はそうではなく、デザインと値段をみて大丈夫そうであれば試着をすることもなく、買い物かごにポイポイと入れ、レジを済ませていた。実際に洗濯して袖を通してみると思っていた形、ニュアンスとは違い、着る気になれず、クローゼットの中にしまい込まれ、ブラックホールの一部となる。あげくほとんど使うこともなくリサイクルショップ行になるのだ。

 

逆にお気に入りのショップではどうだろうか。

まずどういった形や色が欲しいかをイメージしながらショップをまわり、これ というものを探す。イメージに近いそれを鏡で合わせ、試着する。鏡に映る自分を確認して、袖や裾の長さ、体形にあっているかなどを確認する。ショップ店員にお世辞を頂きながらも考え、コーディネートなどを相談する。自分が持っているものに似た服を合わせてみて、使えそうかを確認し、問題なければ購入する。

そして実際に着用するときは、イメージ通りの自分が目の前に現れるので、それが1つの定番になる。私は気に入れば飽きるまでそれを着続けるタイプなので、使いつくしてから処分することになるのだが、柄が気に入っていれば布として再利用することもあるので、もとは十分にとれている自信がある。

 

断捨離後しばらくの間、ファストファッションとは距離をおいていたのだが、必要に応じて利用する日がやってきた。

店内の棚を物色しているとき、特価品として1000円~3000円くらいで商品が陳列されていた。

 

そこでやっと疑問になったのだ。何故この値段で店は利益がとれるのだろう?

私は鞄屋でアルバイトをしていたので、上代・下代…などの知識は少しだけある。ポーターは日本の職人さんが縫製・裁断の手を担っている。もちろん素材への料金もあるが…同じシリーズ、同じ料金の鞄が2つあるとする。それら2つの大きさが随分と違うことがある。それは小さい方が縫製が細かく、大きい方がシンプルなつくりであることが多い。要はどれだけ小さくても手間がかかるだけ値段があがるのだ。

しかし売値が1000円の商品だと、下代はいくらになるのだろうか。30~60%として300円~600円。そこから材料費、輸送費、その他もろもろを引いたとき、作り手にはいったいいくらの売り上げがあるのだろうか?そこで調べてみたのが上記の「ファストファッションはなぜ安い?」と「990円のジーンズがつくられるのはなぜ?」という2冊の本である。

 

現実は私が思っていたよりもずっと凄惨だった。

児童労働や劣悪な環境での長時間労働、しかし労働賃金はとてつもなく低い。労働者たちは馬車馬のごとく働かされるが、それに対する保障はなにもされていない環境である。

その上に私たちが喜ぶ「安い!」が成り立っているのだ。しかも私はその服をほとんど使うことなく、無駄にしてしまった。

 

4月24日は何の日かご存知だろうか?「ファッション・レボリューション・デー」として国際的に記念日としてひろまりつつある。

これは南アジア バングラディッシュで起こった凄惨な事件がきっかけである。2013年4月24日、ラナプラザというビルが倒壊したのだ。犠牲者の多くは生き埋めとなりその数は1130人、救助された数は2500人以上と言われており、その多くは低賃金で働かされていた女性や子どもたちだった。

しかしこのビルは突然、倒壊したわけではない。もともと5階建ての建物を8階まで増築しており、事件前日から建物にヒビが入っていたことのが確認されていたらしい。当然不安を訴える声があがる、しかし、雇用主たちは目先の利益を優先し、彼女たちに労働を強いたのである。

ここまでいうと「なら行かなければよかったのでは?」と思うかもしれないが、それはこの日本だから思えることなのではないだろうか。彼女たちが休みたいと言えば=クビになるということであり、バングラディッシュではそう簡単に次の雇用を見つけられるわけではない。その日、生きていく為に、家族を養うために、彼女たちは仕方なく労働をさせられ、その命を失った、もしくは生涯のこる傷を負った。

そしてそのビルでつくられていたものが世界的に有名なファストファッションなのだ。倒壊したビルから出てきたのは私たちでも知っているブランドのタグやラベルだったそうだ。

さらに、彼女たちへの賠償がほとんどされていないことも問題である。理由は下請けの下請けが依頼したのがそこ(ラナプラザビル)だっただけであって、我々には関係ない。問題は下請けにある。ということらしい。その後バッシングを受け、賠償に応じたブランドもあるが、そうではないブランドがあるのが現実なのだ。

 

何度でも言うが、その上に渡したちが喜ぶ「安い!」があるのだ。私たちが今、手に持っている商品の裏には「こういったこと」が起こっているかもしれないという現実を、私たちはもう少し、考えなければならない。ファッションレボリューションデーは二度とこのような事件を起こさないためにはどうすればいいか?を考える日である。

 

服を10年買わないって決めてみました

著者:どいかや

 

3冊目となるのがこちら。絵本作家としても有名な どいかやさんは衣類がどこからきて、どこへいくのかを知り、自分はたくさんの服に囲まれていることに気付く。これからは買うのではなく、これらを使いつくせないだろうか?という試みから始まったこの本。もちろん完全に買わないというわけではなく、靴下や下着などの消耗品は購入してよいというルールがあるが、スカートやトップス、そういったものを買わずにあるものを使い、リメイクして…と10年間を過ごされたらしい。

 

この本でどいかやさんが伝えたかったのは「買わない」ではなく「何を買うか」だったそうだ。服を買う時に、これは適正な価格なのか?この材料は地球に悪影響はないか?そういったことに目を向けてほしいということだった。

 

そこで出てくるのがエシカルである。

はじめてのエシカル

著者:末吉里花

 

冒頭にも述べた通り、 エシカルとは倫理的な・道徳的な などの意味を持つ言葉である。

その商品の値段は対等であり、制作にかかわった人達にきちんと払われているのか。地球環境に配慮した方法で素材が作られ、製造され、輸送されているのか。また、そういった背景を知るための透明性はあるのか。そういったことを1歩とまって考えてみようという本である。

ここまで言うと、とても大仰に聞こえてしまいそうなのだが、作中にもある通り、日本ほどエシカルがなじむ国もないのではないだろうか。日本には「もったいない」という決まり文句がある。何かにつけて「もったいない精神」は顔をだす。今や「もったいない」は世界共通語でもある。些細な「もったいない」を大切にしていくこともエシカルの1歩なのだ。

 

ちなみに著者である末吉里花さんは発刊当時はエシカル協会代表理事フリーアナウンサーという二足の草鞋を履いておられたらしい。しかも私が好きな「世界ふしぎ発見!」でミステリーハンターをされていたそうだ。彼女がこういったことに興味をもったのは、番組でキリマンジャロにのぼり消えゆく氷河を目の当たりにしたり、サハラ砂漠の消えゆくオアシスについてを聞いたことが始まりだったらしい。きっと実際に目に見て、音で聞いたことは文字で読むよりもダイレクトに脳に響いたことだろう。少しうらやましくもある。

 

どいかやさんの本でも、末吉さんの本でもそうなのだが、何も「買わないで」と言っているわけではない。「どこで買うかを考えよう」ということを伝えたいのだ。

 

今、広がりつつあるのが「フェアトレード」という考え方である。

エシカルに作られた商品をそれに見合った価格で購入しようということだ。最近では大手スーパーでも購入することができる。コーヒーや紅茶、チョコレートなどが多いだろうか。チョコレートの原材料であるカカオだがこれについても今読んでいる本があるので、これもまたいつか綴れればと思う。

 

身近なところでいうと、道の駅で購入する地産地消の野菜もエシカルである。環境に優しい農法を実践している農家を選び、購入することもエシカルだ。野菜などはポストハーベスト(防カビなど)やフードマイレージ(輸送コスト)が極力ないものを選ぶだけでも変わってくる。衣類ではオーガニックコットンを選ぶ、地域伝統の染め物を使うこともエシカルである。

 

作中で心にこんな言葉があった。 

”問題のある商品を買わないことで企業に働きかける運動を、不買(ボイコット)運動と言います。でも「バイコット」つまり、買って応援したり意思表示したりすること、エシカルの真髄だと私は思っています。だって私たちは日々、何らかの買い物をせざるを得ないのですから。” -p107

 

”何もしなければ、あなたは問題の一部になったことになる。でも、何かをすれば、あなたは問題を解決する動きの一部となる。人(の価値)は、何を言うかではなく、何をするかで決まるのだ。”  -p166 

 

これまで減らせるだけ減らし、自分にとってよりよい暮らしのため断捨離を続けてきた。これからは、自分にとってだけでなく環境やその商品の奥にいる誰かのことも考えて消費していきたいと思う。もちろん、コスト的に全てをそうすることはできないけれど、少しずつ変えていけることはできる。

 

私の好きな言葉にこんなものある。

生まれて10年は自分のことを

次の10年は家族のことを

二十歳になってから10年は生まれた くに のことを

30代では日本のことを

40代では世界のことを考えなさい。

うろ覚えではあるのだが、大河新選組で佐久馬象山がいっていたセリフである。ここでいう生まれたくに というのは国ではなく町や地方と考えてくれればいい。また当時と今では年齢の感覚も違うだろう。もっと年齢の感覚は凝縮してもいいのかもしれない。

 

私には何の力もない。経済力もなければ、人脈もない。だけど私は発信することができる。私なりの小さな声をあげることができる。そんなふうにエシカルをはじめていきたいと思う。

 

今あなたが着ているその服は誰がつくったものですか?