より よく 生きる

よりよく生きるために

本・美女と野獣

美女と野獣」という作品を、観たこと読んだことがないということはあれど、聞いたことがないという人は少数なのではないだろうか。それくらい、世界的に浸透している作品である。Disneyのアニメーション映画「美女と野獣」を思い浮かべる人が多いかもしれない。ここ数年であればエマ・ワトソンが主演で制作された実写映画を思い浮かべるかもしれない。はたまたフランス版実写映画であろうか。

しかしながら、原作者が誰であるのか?と聞かれると、ポンと浮かんでこないのではないだろうか。シンデレラならグリム童話不思議の国のアリスであればルイス・キャロルアナと雪の女王であればアンデルセン…と割と有名なところが浮かぶ。では「美女と野獣」は?

と、いうことで今回は「美女と野獣」の原作を読んでみたので、盛大にネタバレ交えて紹介していこうと思う。

 

美女と野獣新潮文庫版) 

 著者:ボーマン夫人

美女と野獣(オリジナル版)

著者:ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ

 

まず、どういった経緯で「美女と野獣」という作品がこの世に生まれたのかの話をしようと思う。「美女と野獣」(La Belle et la Béte)を描いたのは18世紀 フランスの作家 ヴィルヌーヴ夫人である。当初は1740年にオランダのハーグで刊行された物語集「アメリカ娘と洋上物語」の第一話として描かれた。当時の妖精物語にしては長く、万人向け…ましては子ども向けとは言いづらい作品であった。そして彼女の死後、ボーマン夫人によって、子ども向けに要約して書き直し、かつ教育読本として使われることで有名になった。ボーマン夫人版は子ども教育に必要がない内容はばっさりと切り捨てて物語を紡いでいる。ボーマン夫人はあちらこちらから仕入れてきたよりよい話の種をみつけては、こうして短編にしていたようである。ちなみにDisney作品としての「美女と野獣」の土台はこのボーマン夫人版である。

 

Disneyアニメはここ数年観ていないため、エマ・ワトソンの実写映画版の「美女と野獣」のストーリーを基盤に比較したい。読書が好きで精神的に自立した女性であるベルはその街では浮いてしまい馴染めずにいる。そんなおり、父親が遭難しかけとある不思議な城に助けられる。父親はそれが許されないことと知らずに薔薇の花を摘んでしまい、野獣の怒りをかい、監禁されてしまう。父親の危険を感づいたベルは、城を訪ね、自分を父親の身代わりとして監禁させる。野獣とベルは少しずつお互いのことをしり、友情を深めるが、ベルは自分の父親に会いたいと願い、また、野獣はそれを許し、二人は別れる。以前からベルを手に入れたいと策略を重ねていたガストンは、父親をだまし、村人をだまし、野獣を討伐しにむかう。野獣とガストンは戦いの末、両方命を落とすが、ベルが心から野獣を愛していることに気付き、それをみた魔女が野獣を生き返らせ、また元の美しい姿に戻し、2人は幸せに過ごすというのが大体のストーリである。

この場合、野獣が野獣となってしまったのは、とある老婆が王子(後の野獣)に救いを求めたが当時の彼は傲慢であったためその老婆をないがしろにし、実は魔女であった老婆の怒りをかったことが原因である。

 

しかし、ヴィルヌーヴ版は大きく違っている。こちらのストーリーでは、父親が薔薇の花を摘んでしまうという描写は同じであるが、そのまま監禁するのではなく、罰として父親自らが償うか、恐ろしい野獣のもとにいくと解ったうえで身代わりをかってでる娘がいればその娘を連れてくるか…を選ぶことができる。当然、心優しいベルは自分が望んだ薔薇のせいで父親が罰せられるのであれば、自分に罪はなくとも誠意をみせるべきであると考え、自らが身代わりをかってでて野獣の城で暮らすことになる。野獣は見るも恐ろしく、会話も愚かであったが、ベルに危害を加えることはなかった。そしてできるだけ快適に暮らせるように、ベルが退屈しないように過ごさせ、誠心誠意優しさを尽くした。しかしベルは夢をみると美しく才気ある謎の青年に出会う。野獣の城の中でとある肖像画として描かれていたその彼にベルは次第に恋をする。その後も野獣は毎晩ベルに「一緒に寝てくれませんか?」と誘うが、当然ベルは断る。野獣が誠心誠意ベルをもてなしていたため、ベルは野獣に感謝をしているが恋をしているわけではない。夢の中であう貴婦人(妖精)に「見た目に騙されてはいけない」と諭され、父親からも野獣との結婚をすすめられ、野獣と謎の青年の2人の間で板挟みになるベルだが、自身のせいで野獣が死の危機に直面していると知る。そこで自身がいかに野獣を大切に思っているかに気付き、野獣と結婚することを決心する。野獣と結婚した次の日の朝、野獣はベルが夢のなかで出会っていた謎の青年の姿に代わっており、そしてベルは彼らが同一人物であったことをしり喜ぶ。ざっくり、ここまでで第一章である。

第二章は何故彼が野獣になってしまったのかを野獣の視点から、そしてベルの出生についてが妖精(夢の中であっていた貴婦人)の視点から描かれる。野獣にされてしまった王子は悪い妖精に好かれてしまい、その好意に従わなかったため、半ば逆恨みのように野獣にされてしまう。そしてさらに以下のようなとんでもな呪いをかけられてしまう。

私はおまえに命じよう。醜いのと同じくらい愚鈍なふりをするように。そして、もとの姿を取り戻したければ、若く美しい娘がお前に喰われると知りつつ自分からおまえに求婚するほど深い愛情を抱かねばならない。世にも稀なそんな女性に出会うまで、おまえは自分自身にとっても、おまえを見る誰にとっても憎悪の的となるように…それから――(中略)――この怪物があんた(女王)の息子だと誰かに告げようものなら、息子は二度ともとの姿に戻れないだろう。損得勘定や野心や才気の魅力の助けなしに、彼は、この姿を脱ぎ捨てなければならない。

またDisney映画ではベルが商人の子であることが問題になるという描写はいっさいなかったように記憶しているが、ヴィルヌーヴ版ではそこが問題となる。王子(野獣)の母親である女王はベルの出生を知り、結婚を拒む。しかし実はベルが自分の兄の娘であることをしり出生に問題なかったため後に結婚をみとめる。ベルは幸福島の王と ベルが夢の中で出会った妖精の妹との間に生まれた子であった。この辺りの詳細は割愛するが、最終的に悪い魔女はベルにも「野獣と結婚する」という呪いをかけていたため、この妖精が裏であれやこれやと活躍し、ベルと王子の二人はお互いの呪いを解決しつつ結ばれるのである。

 

こんな感じで私の主観を交えつつヴィルヌーヴ版を紹介したわけであるが、このようによくしられる「美女と野獣」と原作の相違点は多いのである。ベルは2人の間で揺れ動くし、野獣と結婚したその夜も夢の中で謎の青年と出会うわけであるが、野獣との結婚を喜ばれたことに対してベルは青年に対して忌々しく思う。愚かで醜い野獣よりも王子に惹かれるという気持ちは簡単に払拭できるわけではない。Disneyのようにたとえ野獣でも優しいあなたを愛しているというわけではなく、感謝の気持ちを理性的に表したことで正しい道を進んだにすぎないのである。もちろんそれも素晴らしいことであるが、美しいだけの物語ではなく、そのあたりをきちんと厳しいものとして原作では描かれているのが好感をもてる。世の中そんなに美しいだけではない。

 

ボーマン夫人版はもっと簡略化され、見た目だけ人を愛してはならないといった教えなどを元に第一章の筋書だけを描いている感じである。そもそもボーマン夫人版は13編の教訓物語で構成されていて、「美女と野獣」はその1つに過ぎない。

 

ところで、先にも触れいているが「美女と野獣」は数年前にエマ・ワトソン主演で実写映画化されている。私はハリーポッターシリーズの頃からエマ・ワトソンの美しさに魅了されていたので、当然劇場で観に行った作品である。実のところ、映画公開の知らせを聞いたときは「あのエマ・ワトソンがDisney Princessを?」と思った。私の中でDisney初期作品の印象はシンデレラコンプレックス的なストーリーであり、フェミニストであり、男性と女性が平等であることを主張する彼女が何故と疑問であった。

シンデレラコンプレックスとは「いつか白馬の王子様があらわれて、私を救ってくれる」という幻想に取りつかれている状態。他者(理想の男性像)への依存願望が強く、自立できていな状況。本来の自分を客観的に認めることができず、また自分が抱えている問題は出生や環境のせいであると決めつけ、誰かが助けてくれるのをまっている。また女性の幸せは男性によって決まるという考え。童話「シンデレラ」から名前がついている。

ja.wikipedia.org

ちなみにエマ・ワトソンが今までしてきた活動については以下の記事を参考にしていただけると解りやすい。

若くして地位と名声を手に入れたエマ・ワトソンは、よき世の中になるため、そして女性たちをエンパワーにする活動に費やしている。2014年には、女性の地位向上を目指す国連組織「UNウィメン」の親善大使に任命。女性の権利を男性にも知ってもらう「He For She」キャンペーンを発足し、スピーチを行った。

 「たとえ、みなさんがフェミニストという言葉が嫌いでも、大切なのは言葉そのものではなく、その背景にある考えや重いです。私が手にしている権利をすべての女性が持っているわけではありません。実際に統計的にごくわずかな女性しか正当な権利を享受していないのです」

エマ・ワトソンはあくまでも「フェミニズム」という言葉ではなく、その概念を理解することが大事であることを主張し、世界から賞嘆を集めた。

www.vogue.co.jp

こちらが国連のスピーチである。

www.youtube.com

 

 そんな彼女が何故、Disney Princessを演じたのか。シンデレラのオファーを断り、美女と野獣のオファーは了承したことに関して以下の記事がある。 

 「ベル役をオファーされた時、シンデレラよりもキャラクターと共鳴する部分が多いと感じたのよ。ベルは好奇心旺盛で、思いやりがあって、オープンな心を持った女性。私がロールモデルとして体現したいのは、そういう女性だと思ったから」

ベル役を引き受けるにあたって、彼女が持つ’女性としての強さ’をもっと強く表現するため、脚本にテコ入れをした。

「ベルは読書家だけど、それだけでは彼女が周りになじめないキャラクターである理由として弱いと思ったの。それに、普段何をして過ごしているの?っていう疑問もあった。だから今作で私たちは、彼女のバックグラウンドを肉付けしたの。たとえば彼女が洗濯機を発明すれば、洗濯機をまわす間に読書をする…といった設定に説得力がでるでしょ?それで彼女を発明家にすることにしたのよ」

www.cosmopolitan.com 

ハーマイオニーからベルへの移り変わりは、エマにとって成熟した大人へのリアルな成長物語である。「この映画の撮影が終わったとき、私は大人への目覚めをベルを演じることに込められた気がしたの」そうエマはいう。ベルは「まごうことなきディズニープリンセスよ。だけど彼女はただ待っているだけのキャラクターではない。自分で自分の運命を切り開くわ」

www.vogue.co.jp

エマ・ワトソンが演じるベルの姿はとても美しく魅力的で何度見てもいい。 それは彼女がただ王子様を見つけることだけに夢中になるお姫様ではなくて、自ら本を読んで、学び、考え、発明し、それこそ切り開いていくような存在だから、私には素敵にうつるのかもしれない。実写もアニメも「美女と野獣」は美しいヒロインがイケメンで優しい王子さまと何故か一目で恋におち幸せになるというストーリーではないところが好きである。まぁ最終的には美男美女で終わるのだが…。

 

私もいつまでも王子様を待っていないで、少しでも自立した理性的な人間でありたいものである。