より よく 生きる

よりよく生きるために

本・八月の銀の雪

本日も読了した本について綴ろうと思う。

今回読み終えたのは八月の銀の雪。5話の短編からなる1冊の本で、それぞれ何かしらの科学が側で息をしている、そんな本だった。時にそれは道しるべであり、恋であり、律するものであり。それぞれに関係する科学は私の知らないことばかりであった。今回は新しく得た知識について、ネタバレを交えつつ具体的に掘り下げてみたいと思う。 

八月の銀の雪

著者:伊与原 新

 

第一話 八月の銀の雪

就職活動に行き詰まる主人公 堀川 と コンビニ店員 グエンの物語。手際が悪く愛想のないと思われていたコンビニ店員グエンは実はベトナムから日本に留学してきた学生であり、地球、特に地震について研究していた。その際に話題に上がったいくつかについて触れてみたいと思う。

 

グエンが大切にしていた古い論文に「P'」というものがある。実際はどのようなものなのか気になって調べてみた。以下はスタンフォード大学のHPへのリンクであり、そちらでデジタルコンテンツとして公開されているようである。このP87~115にかけてが、作中で紹介されていた論文である。

Publications du Bureau central séismologique internationale. Série A: Travaux scientifiques in SearchWorks catalog

(Fascicule:14、87-115)

確かに、論文名は「P’」だけであった。なんと潔いタイトルだろうか。そしてこの論文の左下の余白にはハノイの恩師からのメッセージである、

マイさんへ あなたの成功を祈ります

そう、ベトナム語で記されていたのだ。想像するとわくわくするのではないだろうか。

このP’とは地震の際によくきくP派・S派のP派のことである。この論文を書いたインゲ・レーマンデンマーク地震学者である。インゲ・レーマンは、地震波の研究や、地球のコアに内核と外角があり境界面にレーマン不連続面なるものがあることを初めて示した。当時、コアは全部が液体だと考えられていたが、レーマンはその常識よりも、データを信じ、耳を澄ませて地球の音を聞いたのだ。

ja.wikipedia.org

教科書などで地球の一部が切り取られ、その断面図が見える図をみたことがあるのではないだろうか。あれの中心がコアなわけであるが、そのコアには雪が降るらしい。

内核は、地球の中にある、もう一つの星です。大きさ、月の三分の二ぐらい。熱放射の光をもし取り除けたら、銀色に輝いて見える星。それが、液体の外核に囲まれて、浮かんでる。この星の表面、びっしり全部、銀色の森です。高さ百メートルもある、鉄の木の森。正体は樹枝状に伸びた鉄の結晶です。そして、その森には、銀色の雪が降っているかもしれない。これも、鉄の結晶の小さなかけらです。外核の底で、液体の鉄が凍って生まれる。それが内核の表面に落ちていきます。ゆっくり、静かに、雪みたいに。

このグエンの言葉は本当に美しいと思う。詩的であって、けれど必要最低限。なんと魅力的なのだろうか。

この雪の降り積もる地球のコアモデルとして、外核内核の間には好物の個体粒子が液体に分散した懸濁液の層が存在していて、そこから鉱物の結晶が内核へ降り積もっているということらしい。以下の記事によると数多の仮設の1つらしいのだが、なんとロマンチックなことであろうか。この内核は今も少しずつ大きくなっている。私が普段踏みしめるコンクリートのはるか下ではそんなことが起こっているらしい。まったく実感はない。地球が丸いことすら、私には実感がないけれど、人知れず降る雪はいったいどんな形なのだろうか。どんなふうに舞い落ちるのだろうか。気になる。

nazology.net

地球にはまるで1つの卵のように層構造のようなものがある。地殻があり、マントルがあり、コアがある。作中では人間にも同様に層構造のようなものがあると描かれている。

人間の中身も、層構造のようなものだ。地球とおなじように。固い層があるかと思えば、その内側に脆い層。冷たい層を掘った先に、熱く煮えた層。そんな風に幾重にも重なっているのだろう。真ん中の芯がどういうものかは、意外と本人も知らないのかもしれない。

この表現が特に印象にのこった。美しいなとさえ思った。誰しも奥深くに何かしらを抱えているというのはこの年齢になってようやく理解してはきたのだけれど、やはりそれはまだまだであって、それを知ることはまだできていない。大切な誰かの奥深くすら聴き取れてはいない。グエンのように耳を澄ませたら聞こえるだろうか。

 

第二話 海へ還る日

第二話ではシングルマザーの女性が主人公となって物語が紡がれる。ただでさえ他人の頭の中を気にしてしまう彼女であるが、出産して以降特に自分に向けられる視線は悪意に満ちていると感じている。たまたま満員電車で居合わせた、博物館勤めの女性と交流を深める。

今回キーとなるのは鯨である。立ち寄った博物館で鯨に興味を持った主人公の野村は〈クジラは歌う―鯨類の生態と社会〉というトークイベントに参加する。鯨といえば以前、「52ヘルツのクジラたち」を紹介した際にクジラの歌について触れたのだが、今回もそれが話題にあがっていた。以前少し調べていたので少し嬉しい。

クジラやイルカはエコーロケーションといい、周波数の音を発して、その物体が反射して戻ってくる距離などで位置等を把握する。また、クジラは意思疎通のために一連の音を出し、それが歌声のように聞こえるため クジラの歌と呼ばれている。作中ではこのイルカやクジラの声はいわゆる「言語」ではなく、コミュニケーションとして使われていることは間違いないが、言語としては自由度や発展性がないとされている。

yu1set.hatenablog.com

クジラやイルカを長年追い続けた、ある動物写真家が言っていることなんですがね。この地球で進化してきた悟性や意識には、二つの高い山がある。`ヒト山'と`クジラ山’です。ヒト山ってのはもちろん、人間を頂点とする陸の世界の山。クジラ山はクジラやイルカが形作る、海の世界の山です。どんな山か、その高ささえ解りません。でもたぶんその頂上には、ヒト山とはまったく違う景色が広がっている。

人間は五感を駆使してインプットした情報を発達した脳で統合して、即座にアウトプットする。言葉や文字、道具、技術を使って、外の世界に働きかける。ヒトが発達させてきたのは、言わば外向きの知性です。

一方、光に乏しい海で生きるクジラたちは、おもに音で世界を構築し、理解している可能性がある。文字や技術を持たないので、外に向って何かを乱すこともほとんどありません。だったら彼らはその立派な脳を、膨大な数のニューロンを、いったい何に使っているのか。もしかしたら彼らは、我々とは違って、もっと内向きの知性や精神世界を発達させているのかもしれない―ということなんです。私なりの言葉で言うと、クジラたちは、われわれ人間よりもずっと長く、深く、考えごとをしている。

一体クジラは何を考えているのだろうか。とても気になる。少し話はそれるがイルカとクジラは大きさが違うだけで同種だというのはご存じだろうか。また実はカバと近い動物であることを。 

 こちらのコミック、天地創造デザイン部の1巻で、クジラやイルカについて取り上げられているのだがとても分かりやすい。コミックの中ではイルカのデザインモデルにカバが採用されるという設定になっているが、実際は鯨偶蹄目が進化していく中で最終的にカバとクジラに枝分かれする。またコミックでは先ほどのエコーロケーションについても説明されている。ちなみにクジラは頭部から250dbもの音波を出すらしい。ジェットエンジンを近くで聞いたとして120db…小さな魚は200db以上の音圧では死んでしまうらしい。そんなにもすごい音圧を出すことができるそうだ。少し怖い。

話を戻すが、上野でシロナガスクジラと言われて浮かぶのは、国立科学博物館であろう。私も1度、前を通ったことがある。正面左側にはシロナガスクジラの超巨大な(30mくらいあるらしい)オブジェが展示されている。私が用があったのは国立西洋美術館であったため、国立科学博物館には寄らなかったのだが、いつか訪れてみたいものである。

kyuukyodou.sakura.ne.jp

博物館勤めをする女性の名前は宮下さんというのだが、彼女は動物研究部の非常勤職員として、標本業務に携わる傍ら、出版物用の生物画を50年描き続けている。実は彼女にはモデルがいらっしゃる。以下に参照した「世界の鯨」を描いた渡辺芳美さんである。この物語はこの方に作者が感銘を受けて生まれたらしい。宮下さんの私的プロフィールは渡辺氏と一切は関わりはないようであるが、このような素晴らしい絵をかける人がいるということがとんでもなく素晴らしいことだと思う。

www.infoparks.jp

nlab.itmedia.co.jp

作中にもこの「世界の鯨」ポスターが取り上げられており、大きなキーとなっている。83種もの鯨を精密に描く…実際どれほどの時間がかかったのだろうか。お話を聞いてみたいものである。

ちなみに物語を読み終えてからこちらの以下の記事を読むと読み方が変わってくる。しかもこの哺乳類展、音声が糸が瀬戸康史さんだったらしい。行きたかった…!!

www.asahi.com

https://www.kahaku.go.jp/procedure/press/pdf/110474.pdf

それにしても今年はクジラに縁があるのかもしれない。実際に会ってみたいものである。

 

第三話 アルノー檸檬

役者になる夢をあきらめ不動産関係の仕事をする39歳男性 園田が主人公となる物語。再開発の波に乗るため築36年のアパートも取り壊すには全戸の立ち退き交渉をまとめなければならない。彼の仕事である。しかし、立ち退きに反対している女性に加藤寿美江 通称 白粉婆がいる。困ったことに彼女は、ベランダで鳩を飼っているらしい。実際は迷い鳩がそこに居着いてしまっているだけではあるのだが、その鳩の飼い主を見つけるまでは交渉に乗らないと加藤に言われてしまう。鳩の脚環には<アルノー19>と書かれていた。今回テーマになるのは鳥類に備わった帰巣本能について。

 

まだ私が実家暮らしをしていた数年前。燕が玄関に巣をつくったことがある。我が家には3匹の犬がいるやかましい家だというのに、何故その燕は我が家を選んだのか…心底疑問であった。そして翌年、翌々年も彼ら(もしくは子孫)はその巣に帰ってきた。もしかしたらたまたま無関係な燕が来ていただけかもしれないが。職場のゴミ捨て場にも昨年燕の巣ができていて、今年も帰ってきていたようである。何にしても毎年よく、この日本に渡ってくるものであると感心した。こういった渡り鳥や鳩は、太陽や天体の位置と体内時計、そして地磁気を使って方位を知るらしい。伝書鳩やレース鳩が巣に戻ってくることができるのはそういった仕組みを使って訓練されているわけである。

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

半ば家出同然に家を出てきた園田は20年近く実家には帰っていないらしい。そんな彼と、帰るべき場所を迷ってしまった鳩。なんとも不思議なコンビであった。

 

第四話 玻璃を拾う

舞台は大阪 梅田からはじまる。主人公となるのは瞳子は自身がSNSでアップした画像により、裁判沙汰になりかけていた。そのキーとなるのが珪藻アートである。

そもそも珪藻とは何かであるが、足ふきマットや塩・砂糖などのスプーンなどで吸水性が良いことでしられている珪藻土はご存知の方が多いのではないだろうか。最近はあちらこちらで売られているのを見る。あの白い板である。あれは珪藻の殻の化石により堆積岩である。そして珪藻とは藻類のグループにふくまれる単細胞生物で、その中でも細胞の周りに珪酸質(ガラス質)の殻をもつものが珪藻とよばれる。殻の形態が放射相称の中心珪藻、一本の対称軸をもって左右対称の羽状珪藻がある。

ja.wikipedia.org

作中に登場する珪藻アートの作品群は、奥修氏による写真集を参考にしてイメージを構想され、採取方法も奥氏の著作に基づいているらしい。以下の記事は奥氏について書かれている。珪藻アートは初めて知ったが、まるで万華鏡のような、それでいてステンドグラスのような美しさであった。きっと本物は写真で見るよりさらに幻想的なのだろうと思う。

www.asahi.com

著書も出されているようなので、こちらもぜひ見てみたい。 

珪藻の多くは、大きさ0.1ミリもない。これは、その殻だけを集めたものなんです。海や川で採ってきたら、薬品で洗ってガラスの殻だけにする。それを顕微鏡で見ながら、壊れていないものを探し、先の細い道具で一つずつ拾い上げ、こうして種類ごとに選り分けていく 

なんというか、とんでもなく気が遠くなるようなはなしである。

一言で言うと、全精力を傾けて、ですよ。顕微鏡をのぞきながら、形も大きさもちょうどいいガラスを先の細い道具で一つずつ拾ってきて、しかるべき位置にしかるべき向きで配置する。愚直に、諦めずに、ひたすらコツコツやるしかない。こんなものを作っているのは、世界でも数人しかいないんです。技法は各人が独自に編み出したもので、他人に教えたりはしない。道具も各自いろいろ工夫を重ねて作る。

たった1枚の写真を撮るのに、どれだけの苦労、どれだけの時間がかかるのだろう…。息一つで飛んで行ってしまいそうなそれらをどうやって固定するのだろうか…レジンのようなものを使うのか…。とても気になる。しかしながらこればかりはやってみよう!とはなれない。私の乱視と大雑把加減ではきっと1粒置くので精いっぱいであるから…。

 

第五話 十万年の西風

最後となるこの1話は科学がいかに人と関わっているか、そして使い方を間違うとどうなってしまうかが紡がれている。

原発の下請け会社を辞め、心向くまま一人旅をしていた辰朗は、茨城の海岸で凧揚げをする初老男性 滝口にである。彼は以前、気象測定における凧の有効性を研究していたらしい。凧をきっかけに2人は話しを深め、辰朗はこれから福島原発を訪ねようとしていることを告げる。

ベクレルにしても、ポロニウムラジウムは発見したキュリー夫人にしても、研究に熱中した動機はただの好奇心だったはずです。遥か上空の風を知りたいと僕らが思うのと、まったく同じ好奇心。自然の摂理を明らかにしたいというね。彼らはそれが原子力に応用できるということなど、考えもしなかったと思います。ついでに言うと、放射能の怖さについても理解していなかった。

人間に好奇心が備わっている以上、放射能の発見は、必然だった。そこにあるのは、自然の成り立ちを垣間見た喜びや、輝きや、畏怖だけで、迷いなどない。そして、いったん発見されてしまえば、それが何に利用できるか考え始めるのも、また人間というものなんでしょう。だからこそ文明というものがある。問題は、我々人間が、非常な危険をともなう使い方や、邪悪な使い道さえ思いついてしまうということです。思いついた以上、それを実現したいという好奇心を止めるのは困難だ、そして一度その威力を知ってしまうと、簡単には捨てられない。迷いながらも、その度に言い訳を見つけ出し、決断を先送りにして、使い続ける。場合によっては、破壊的な被害がでた後でさえ。その最も愚か例が核兵器であり、最も無責任な例が原子力発電ですよ。

原発において、使用済み核燃料の放射線レベルが、原料となったウラン鉱石と同程度に下がるまでどれくらいかかるかご存じだろうか。正解は10万年だそうだ。一度発生してしまったものはそう簡単になかったことにはならない。フィンランドでは1983年、放射性廃棄物の最終処分場を建設する方針を決め、2001年 オルキルオト島への建設を正式決定した。この地層処分設備は洞窟を意味する「オンカロ」と名付けられ、発電所から数マイルの花崗岩の岩盤に建設された。オンカロ処分場は100年分程度のキャニスターを受け入れる大きさがあると予想される。処分場が満杯になったのちは、最終的には埋め立てれら密封される。その後10万年以上かけて放射能の減衰を待つ計画である。このオンカロ処分場は「100,000年後の安全」というドキュメンタリー映画にもなっている。

ja.wikipedia.org

辰朗は好奇心を空や風などの のどかで平和なことに向けられることを願う。しかし、それらですら平和に使われるとは限らない。風船爆弾がその一例であろう。そして滝口の父親は風船爆弾の犠牲者であった。

私が初めて風船爆弾のことを知ったのは坂口安吾の「風博士」がきっかけである。2020年に中井貴一さん主演で舞台化されている。中井貴一さんが演じる風博士のフーさんは元科学者であり、風船爆弾を作っていた過去をもつ。舞台ではそこまで深く風船爆弾について言及されたわけではないのだが、実際に使えるレベルだった といった会話があり、どこまでがファンタジーなのか解らなくなってしまった。 残念なことにこの風船爆弾は米国に到達し、死者も出ている。

極秘に進められていた高層偏西風を利用して、気球により米本土を爆撃しようという提案がなされ、昭和19年11月3日に攻撃が開始されたのである。これがいわゆる風船爆弾による米本土攻撃である。当時は作戦秘匿の必要上、この攻撃については国民の視野から隔絶されていたので、一般の士気の昂揚には貢献することができず、またこの攻撃による米本土の被害状況も確認し得ないため、具体的な戦果として十分認識されないまま終戦をむかえることになったが、終戦後米国からの情報により、その反響はまことに驚くほど大きかったことがわかり― 

www.jstage.jst.go.jp

 

ja.wikipedia.org

 

第一話で グエンは地球のコアを知りたいと自然の摂理を知りたいと願った。そして第二話では 人に寄り添っていることを、第三話では人の役に立っていたことを、第四話では 美しさを説いた。そして第五話ではその科学が人にいかに牙をむくかが紡がれる。これからどうするべきなのかが問いかけられている。全く別の物語ではあるのだが、あぁこれで1冊なのだなと思った。そしてたった250ページにもみたない1冊の重みがとてつもないように感じた。

 

6月末で退職してしまうのだが、私は大学の中でも少し特殊な大学の図書館に勤めている。研究機関として特化しているその場所は、やはり科学にあふれていた。学の無い私には一生縁のないと思っていた世界で、少しだけ彼らに触れて、尊敬を感じたことも、そして恐怖を感じたことも0ではない。彼らの研究の上に我々の生活が成り立っているのだ。こうして文字をパソコンに打ち込むのでさえ、彼らの技術の結晶の上に成り立っている。それをまざまざと見せられた2年間だった。

 

図書館はよく、無料貸本屋と表現される。間違ってはいないが、個人的にはラボラトリーであると信じている。知識の場である。そして図書館員として、知識の橋渡しをするものとして、これからの科学が人にとって優しく寄り添うものであることを祈っている。この2年間、いくつもの論文を研究室にいる教員や学生に届けてきた。私は当然その後に立ち会うことなどできないが、それらがより良いものになることを祈っている。