より よく 生きる

よりよく生きるために

本・ジーキル博士とハイド氏

最近のささやかな日課がある。

Amazonで「名探偵コナン」の12シーズンまでを観ることができるため、黒の組織に関係する話をピックアップして1日2話ずつくらい観ている。というのも、同居人がほとんど登場人物を知らないというからである。劇場版作品を全て見直したいというがベルモットキャンティ、コルンを知らなかった。黒の組織がメインの作品は総じて見れないではないか。それでは作品も楽しめないだろうということで始まった日課である。

つい先日、425話「ブラックインパクト!組織の手が届く瞬間」を観ていた際に小説「ジギルとハイド」がストーリーのkeyとなっていた。そういえば、中学生くらいのころに読書時間が設けられその本を開いた記憶が薄ぼんやりとある。最後まで読んだのだろうか、途中で挫折したのだろうか。(当時は今以上に小説をよんでいなかった。)とにかく、ジギルとハイドが最後どのような顛末をたどるのか、記憶になかった。その話を同居人にしたところ、同居人の本棚にあるという。これも何かの縁かもしれないので読むことにした。読んだのは8月中なのではあるが、なかなかに感想をかく気になれなかったのは なぜであろうか…たぶん何を書いていいのか自分でまとまらなかった(…というか書いている今もまとまっていない)からだと思われる。例のごとくネタバレを含みながら紹介したいと思う。

 「ジーキル博士とハイド氏」

著:スティーヴンソン

 

作者紹介を見るまで気が付かなかったが、「宝島」と同じ作者だったのかと驚いた。「宝島」も途中まで読んだ記憶がうすぼんやりとある。先ほどの薄ぼんやりよりもさらにぼんやりとしている。いつ読んだのかも覚えていない。そういえば絵本だったかもしれない。

 

ジーキル博士とハイド氏」については、名探偵コナンの「ブラックインパクト…」で盛大なネタバレをくらった後に読んだので、オチを知りつつ読み進めることになる。

 医学、法学の博士号を持つ高潔な紳士 ジーキルの家に、いつのころからかハイドと名乗る醜悪な容貌の小男が出入りするようになった。ハイドは殺人事件まで引起す邪悪な性格の持ち主だったが、実は彼は薬によって姿を変えたジーキル博士その人だった。人間の心にひそむ善と悪の闘いを二人の人物に象徴させ、`二重人格’の代名詞として今なお名高い怪奇小説の傑作。

 この裏表紙の説明でも書かれているが、「ジーキル博士とハイド氏」の作品のテーマといえるのが、人間の心に潜む善と悪についてである。当然 紳士であるジーキルが善で、ハイドが悪で…と思っていたのだが、実際は少し違うようであった。ハイドが悪であることに違いはないのだが、ジーキルは善だけではない。もともとジーキルの心の中には善の心と、到底人には言うことができない悪の心があった。そのまるで対極しあう人格が彼の中で同居して二重生活のような暮らしをおくっており、そのことに苦しんだジーキルは善の心と悪の心を分離してしまおうと考えつく。そうすれば、善は善に、悪は悪に染まることができ、お互いにそうではない自分自身に煩わされることもなく、自分の欲するままに行動することができると考えたからである。そして生まれたのが悪の心を持つエドワード・ハイドである。しかし、結果としてジーキルは善の心だけを残していたわけではなく、依然としてヘンリー・ジーキルのままであって善と悪の混合体であった。そして物語の終焉に向かうと どんどんジーキルはハイドに飲み込まれていく…。そうか、こういう結末だったのかと10年以上の年月を越え、改めて納得した。

心理学を少しかじっているため、二重人格のように自分の中に「ハイド」と呼ばれる人格がいて、その人格によって風貌が変わってみえるという設定かと思っていたのだが、この作品では薬品を投与することで雰囲気や人格だけでなく体格や背丈ですら変わってしまう。それこそ、名探偵コナンで新一君がコナン君になってしまうときのように、身体が変わってしまうのだ。

また自分の中の善と悪がどちらもそれぞれの延長線上にあるのではなく、全くの別物であるというジーキルの発想は面白いと思った。しかし人間の人格は表裏一体ではなく、もちろんその人の気質もあるだろうが それまでの環境や教育で形成される。そのためジーキルが作成した薬はあくまで、新しい人格・体格を成形するものであり、ジーキルの過去と二人のお互いの記憶を共有している時点で、完全分離することはできないのだ。もしかしたらハイドは「悪が許された存在」として振り切っているだけで、少なからず善の心があったのかもしれない。そう考えれば、二重人格というのもおかしくない。

 

英米、特にイギリス文学の伝統にはunpleasntness(アンプレザントネス/直訳は不愉快)の興味というものがあるらしい。貧しさや、病、老い、そして死といった現実的なものは当然愉快なものではないが、よりリアリティなものである。読者はみな生活の中に潜むアンプレザントネスを上手に味つけした物語を料理を味わうように味わって、それを’愉しんで’いる人種だ、ということらしい。(P126 解説より)

リアリティの中に潜む不幸であったりはやはり何かを読むうえで絶対に触れるモノであるので、そういったものを楽しむというのは小説においてはマストのような気がする。私はファンタジー小説が好きなので、あまりわかったようなわからないような感覚である。

 

そういえば小説で二重人格を取り扱ったものを読むのはこれが初めてかもしれない。(過去に1度読んだというのは置いといて)漫画であれば幽遊白書の仙水が7つの人格だったように記憶している。たぶん、それくらいだろうか。二重、もしくは多重人格を取り扱った有名な小説も名前こそ知れ 実際に読んでいない。もう少し読書幅を広げるためにも それがテーマになっているものも今後 読んでみたいと思う。