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本・夜は短し歩けよ乙女

読み終えたのは9月の暮れであるので、もうすぐ一月程経過してしまうのだが、今更ながらネタバレ交えて感想を綴っていこうと思う。

 

夜は短し歩けよ乙女

著:森見登美彦

 

そもそも私が初めて森見さんの本を読んだのは、まだ大学生の頃だったと記憶している。BOOK OFFでアルバイトをしていた時に、たまたま売られてきたのが この夜は短しだった。タイトルのインパクト、印象的なイラストに心惹かれて購入したのをいまでも覚えている。読みだしてみて、一気に駆け巡っていくような疾走感のようなものをはじめて感じた。読みだしてみて苦痛になるというのが一切なく、スルスルと それこそ蒔絵でも観るかのようにどんどんと進んでいく展開がとても「おもしろかった」のだ。

そしてそれから森見さんの小説をいくつか読むようになった。太陽の塔宵山万華鏡、きつねのはなし…もちろんエッセイ(?)の 美女と竹林 や 恋文なんかも読んでいった。それまでほとんど小説を読んでいなかったが、「この作者の作品を全部読みたい!」と思ったのは森見さんが始まりのように思う。今でも私の選書は一度読んでみてこの作家が好きと思えば他の作品も網羅的に読んでいくというスタイルでいる。

 

夜は短しは主人公「私」が黒髪の乙女の視界に留まるように悪戦苦闘する物語である。1年の四季、春・夏・秋・冬の4部にわかれた構成であり、ぞの1年を通して、「私」と黒髪の乙女を中心としたドタバタファンタジーが繰り広げられるのだが、どこを読んでも面白い。

夏に出てくる納涼古本市は読書が趣味である という人間であれば、一度は夢見る場所なのではないだろうか。私も1度、糺の森ではないが別で開かれた古本市に行ったことがある。確かGWのあたりだったように記憶している。そこそこの広さのあるホールの端から端までが全て本なのだ。古書、小説、絵本、品ぞろえは多岐にわたる。実はそこでラタタタムを探したのだが、見つけることは叶わなかった。今では別で手に入れたその絵本を大切に保管している。

 

ところで、どうしてこんなにも私は森見登美彦という人が書いた作品に心惹かれるのだろうか。

 

私の頭の中には大きな地図がある。大きな日本地図であるのだが、その地図は基本的に真っ白で枠線だけが黒く引かれている。その中に部分的に書き込みがある。自分が旅行で訪れた場所である。そこだけがクリアに描かれている。そしてその上で、今まで読んできた作品のキャラクターたちが生活をしている。そんな地図である。行ったことがない場所はあまりクリアには浮かばない。今まで行ったことのある鎌倉であれば鎌倉うずまき案内所があるし、北鎌倉にはビブリオ古書店がある。そして京都には色濃く書き込みがあり、その多くが森見さんの作品からうけた映像である。

自分と無関係であると思っていたものが、実は自分にも共通点があるとわかったとき、とてつもなく嬉しくなる。そしてそれが好きになる。そんなことはないだろうか。

ポジティブなことに関しては、私は結構それが多い。小説の場合、たまたま読んだ本に自分が知っている地名や建物が出てくると、映像がよりクリアになり、「ここ知っている」と嬉しくなる。森見さんが描かれる世界の多くは京都・大阪、そして奈良が舞台となっていることが多く、当然、観光で訪れたことのある場所が多く出てくる。もちろん鴨川デルタや納涼古本市のように、森見さんの作品で聞きそれをきっかけにしてそこを訪れたこともある。そういう聖地巡礼もしやすいのが嬉しい。

 

次に登場人物もリンクしているという点。先ほども無関係であると思っていたものが、実は共通点があるとわかったとき…ということであったが、それは自分だけに限らない。森見さんの作品は登場人物や建物、団体が、他の作品でも出てくるということがよくある。それを見つけては嬉しくなり、またその作品が読みたくなる。そうして複雑に作品が絡まれば絡まるほど、頭の中の地図も複雑になり、より濃くなっていく感覚がある。それがたまらなく好きなのだ。

 

また森見さんが描く独特の癖のある言い回しやキャラクターも良い。痛々しさをのこした大学生(もしくは院生)の主人公を観ていると、あぁこれぞ森見ワールドと浸りたくなる。もちろん、宵山や新訳走れメロス、ペンギンハイウェイのときのように、主人公が子どもであったり、それ以外のものであっても良い。

 

ここまで書いておいて気が付いたが、私は理由なく森見さんが好きなのだということが、よく自覚できた。まだ森見さんの小説が積読状態になっているものもある。また近々読めるように努めたいと思う。