より よく 生きる

よりよく生きるために

本・月まで三キロ

以前、伊与原新さんの「八月の銀の雪」を読んだ。一見、意味の解らないタイトルだが内容を読み進めると そういうことなのかと納得させられる そんなタイトルだった。私は理科や化学といったものがてんでだめで、学生の頃に全くといっていいほど勉強してこなかったことが悔やまれる。それらを知っているというだけで、世界はこんなにも違って見えるのにと。

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相も変らず、気に入った作者の作品というのは網羅していきたくなるもので。今回は読了した「月まで三キロ」のことをネタバレ交えて綴っていきたいと思う。

月まで三キロ

著:伊与原新

科学にまつわる6つの短編。

 

①月まで三キロ

とある男性と、彼を乗せた1台のタクシー運転手の物語。死に場所を探す男に対して、タクシー運転手はとある場所に連れていく。そこは一番月に近い場所。月まで三キロのある場所だった。

 

ふと思い出したが10/20とてもきれいな満月をみた。Twitter上でもたくさんの人が月の写真をあげていた。私が在住していたところは薄い雲がかかっていたので、それを観て月に想いを馳せたものである。トレンドワードにハンターズムーンというワードも上がっていた。10月の満月のことをそう呼ぶらしい。私が知っていたのは Blood Moon(血月)とよばれるもの。少し調べてみると他にもトラベルムーンやカインドリームーンなどいくつかあるらしい。

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月の名前で思い出したが、大人になるまで「十五夜」とは10月の満月のことを呼ぶのだとそう思っていた。図書館で働くようになり、新聞で「今日は十五夜」のような記事を9月中にみて、そうか違うのかと知ったのだ。

十五夜とは 陰暦の毎月15日の満月の夜の事。通例は陰暦8/15の夜のことをいう。

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さいころからこんなに身近にいたはずなのに、ちゃんと理解していなかったのだと思った。

 

話を物語に戻すが、タクシーの運転手は天体に詳しく、道中 男に語り掛ける。月の裏面は地球からみれることはない。そして月は一年に3.8cmずつ地球から離れていっているらしい。そんな月を人に、そして息子に例えて運転手は話す。そしてどうして男は死に場所を求めているのか…に触れていく。似た境遇の二元だからこそ分かり合える何かがあったのかもしれない。切なくて、でもどこか優しくて、救いのある物語でよかった。

 

②星六花

婚期をのがしかけている女性ととある男性の物語。テーマとなるのは雪の結晶。

雪の結晶の形を観たことがあるだろうか。私が在住している奈良は年に数回だけ雪が降る。その中、黒いコードで外に出てみると雪の結晶の形がよくわかるのだ。よくみる形といえば、六角形の樹氷状の結晶だと思う。イラストを描くときも、この形を選ぶことが多い。タイトルにもなっている星六花もその中の1つである。

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ところで雪の結晶の形はどうやって決まるのか。

そういえば考えたことがなかった。雪の結晶をまとめた図鑑や、写真などは過去に観た記憶があるが、なぜそうなるのか は考えても見なかった。結晶の形は大気の状態で変化するらしい。逆にいえば、雪の結晶の形から大気の状態がある程度わかるということになる。物語の中ではそこがキーとなる。

雪の結晶を二人でみるシーンがあるのだが、私もそうやって結晶を写真におさめてみたいと思った。今年の冬に向けてスマホの接写レンズを購入してみようか。冬は苦手だけれど、そういうことなら少し楽しみだと思える物語だった。

 

アンモナイトの探し方

アンモナイト。最近、少しご縁ができている気がしなくもない。先月読んだ「鎌倉うずまき案内所」にもアンモナイトがでてきたし、10月になってから名古屋に赴いたのだが、その際に2度も彼にあってしまった。これはご縁というほかない。まぁそういう認知バイアスがかかっているにすぎないのだが…。

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とある村に訪れた都会育ちの少年。頭脳明晰なのだが、最近すこし調子がよくないため田舎で療養をしているらしい。そんな中、とあるきっかけでアンモナイトを採る壮年の男性に出会う。川辺の石を見分けて金槌を振り下ろし、その石を割る。そんな作業をひたすらに繰り返す。田舎の祖父母はその老人には会うなというのだが、少年は老人のもとに通い、アンモナイトを探すことにした。そこで少年と老人が話す内容がとてもよかった。わかるっていうことは何だろうか。わかるをわかる、思考を深めたくなる物語だった。

そういえば化石の発掘というのをしたことがない。潮干狩りだとかそういう子どもの頃に体験するイベントをこなしてこなかったツケが今にきている。アンモナイトを採りにどこかへでかけてみようか…。どこで採れるのか、探すところから始めなくては。

 

天王寺ハイエイタス

テーマとなるのは地層。

大阪天王寺が舞台となった物語。ある日先輩が ガラの悪そうな男性が兄から金を受け取っていたときく。そのガラの悪そうな男性について聞くと、それはちゃらんぽらんで少々困った伯父だった。

なんとなくで音楽活動をしていた主人公は自分が何者であるのかを悩んでいる。「できのいい」といわれる兄と打って変わって、自分は勉強ができるわけではない。実家の稼業を継いでいるはいるのだが、そこにもまだ染まり切れていない。父や祖父のような立派なかまぼこ屋店主には程遠い。彼の家系は代々、次男はそうなのだ。そして長男は一癖ある人という家計なのだ。

伯父(父の兄)ももともとは音楽で成功したと言える人だった。しかし今はちゃらんぽらんで、店に金をせびりにくるような迷惑な伯父なのだ。そして極めつけに、彼は大阪の海に様々なものを捨ててきたらしい。その場所には伯父がすてたもろもろが地層のように積み重なっている。何故彼は海に捨てたのかが、切ないが暖かい。

 

天王寺に行ったことはあるだろうか。奈良にある実家の家からは電車1本で天王寺(阿倍野)にでることができた。母と大阪におでかけとなると、きまって天王寺周辺だった。ABCクラフトやアニメイト、まだキューズモールやあべのハルカスなんかもできていない頃の天王寺は今よりもはるかにディープだった。大学生の頃に交際していた男性は天王寺周辺に住んでいたこともあり、10~25歳くらいまでの天王寺を離れたところからみてきたが、今も1本裏手に入れば どこか大阪臭さがこびりついている そんなところが嫌いになれない。

実はあまり小説の中で大阪を取り上げられるのが好きではない。関西弁は文字にすると途端違和感になる。(私だけかもしれない)「~やねん」とかいう言葉は文字にすると主張が強いのだ。その点、この天王寺ハイエイタスはちょうどよかった。大阪臭さのこびりついたあのあたりの、しかしコテコテではないように描かれているので「ちょうどいい」。

 

⑤エイリアン食堂

「月まで三キロ」の小説の中で一番好きといえる物語。

食堂を営む男性と彼の娘。そして娘が勝手に名前をつけたプレアさんという女性の物語。プレアさんはつくばの研究施設で働いているらしい。毎日決まった時間、曜日ごとに決まったメニューを頼む彼女を、娘は宇宙人なのかもしれないと思っている。ほほえましくみえる物語であるのだが、娘の母親は数年前に他界し、その後 母方の祖母も他界してしまっていた。母親の療養のために母方の実家の方に身を寄せていたため、食堂を営む男性からすると、彼と娘の二人が見知らぬ土地に訪れたような宇宙人のような感覚になる。娘は母の死後、不眠症のような症状を訴えるようになった。立て続けに祖母もなくしたので、病院への恐怖感もあり、通院することもできない。そして最近は漫画で輪廻転生であったり呪術のようなものを調べているということで、男性は心配でたまらないらしい。

プレアさんは淡々と物事を理路整然と話すタイプの人であった。娘との会話も、そうであるのだが、子どもだからとぼかすのではなく知識をもって彼女の疑問に答えている。「あなたは宇宙人なの?」という言葉をプレアさんは否定しない。しかしプレアの由来であるプレアデス星団についても、それを的確に説明する。

そんなある日、プレアさんは娘に「実はわたし、138億年に生まれたんだ」と告げる。それは冗談でも、娘を馬鹿にしているわけでもない。138億年前、ビッグバンによりこの宇宙は誕生したと言われている。その宇宙誕生のたった3分間で

ヘリウムや水素の原子核ができた。そして人間の身体は原子の個数でいうと6割ぐらいが水素でできているらしい。

体には水分が多いでしょ。水は、酸素の原子に水素の原子が2個くっついたもの。水素は、海になり、雲になり、雨になり、生きものの身体もつくりながら、地球をめぐっている。あなたもわたしも、138億年前の水素でできている。だから、わたしたちはみんな、宇宙人

亡くなった人は遺体を焼かれ灰となる。姿も見えないし声も届かない。けれど、水素として地球を巡りいつか自分の一部となる。そして自分の一部であった水素もいずれ体外に出て、誰かの一部となる。母をなくした、妻をなくした2人と、研究に生きてきて 子を産んでいないプレアさん。亡くなった人は今も地球を巡っているし、自分を通過した水素を持つ存在もみな、子のようなものである。

目頭が熱くなるような切ないお話なのに、こんなにも救われるだなんて…と心まで熱くなったように思う。

 

⑥山を刻む

最後は火山、溶岩がテーマとなっている。

数十年、主婦を続けてきた女性がいる。旦那は仕事ばかりで家のことは全く。旦那の母親は自分に対して冷たくあたる。そして娘と息子も、自分に対して 傷つけても構わないものという認識でいる。母親とは、そういうサンドバッグにされてしまうもの…そんな姿をみて娘には「お母さんのようにはなりたくない」とまで言われてしまうのだ。

彼女にも夢があった。山岳カメラマンとして、写真を撮ることだった。山登りも趣味であった。しかし、旦那は山登りを好いていないし、子どもができてからは当然時間的余裕なんてものはない。子どもたちが自立できる年齢になってようやく、近所のおばさまたちのクラブのようなものに紛れて山に登るようになった。要は夢を追いかける時間は家族のために費やしてしまったが、家族がそれに対して彼女に愛情を返したとは言えない。帰ってきたのは傷ばかりだ。

そんな彼女は山のなかでとある男性2人に出会う。一人は40代くらいの、もう1人は20代前半くらいのひょろっとした学生風の男だった。話を聞いてみると、大学の教授と学生のようだった。重そうな荷物を持つ彼らの鞄の中は、石ばかりであった。彼らは溶岩石などの研究をしているらしい。ひょんなことから、3人で山を下ることになる。そして学生と女性が2人になったときの会話で「面白いと思うことを仕事にしている」そんな教授がすごいと彼は言う。憎まれ口をたたき合う二人であるのだが、そこにある師弟愛というようなものが心地よい。

実は彼女には思い悩んでいることがあった。今後の人生に係わる重要な事だ。家族にそれをどう説明するか、認めてもらえるか、その決定をするかで悩んでいたのだ。学生の言葉を聞いて彼女は「自分がしたいと思える面白いこと」に進む決心をするのだが、その年齢でも夢を追いかけることのできる姿がとてもまぶしかった。夢を追いかけるのに、年齢はもちろんネックにはなるのかもしれない。でもできないというわけではないのだ。

実は私は登山というものをろくにしたことがない。地元にあった二上山を昇ったくらいだ。(しかもあれはただただ階段をのぼっただけである)死ぬまでにしたいことリストをもしつくるなら、富士山からご来光を眺めたい をあげるだろう。ここ数年、思ってはいるができていないことだ。まず体力つくりから初めて、手近な山から挑戦しなくてはならない…。とは思っている。体力をつけよう。

 

 

月まで三キロ。ネタバレ交えて綴っていったのだが、ぜひ読んでほしい。科学というと堅苦しく難しいものという印象があるかもしれない。でもこの物語はそうではない。生活の中のありふれた科学を優しく美しく紐解いてくれるから。