中学生くらいの頃から、絵を描くようになった。勉強もできず、運動もできない、それまで褒められることのなかった私には、絵だけが誰かから褒めてもらえることだった。毎日のように絵を描いた。勉強もなにもかも放って、毎日のように鉛筆を握っていた。しかし それは、描かない人に比べれば 多少描くことができるというレベルであって、そこから広い世間に出ると自分の画力など、足元にすら及ばないそんなレベルだと知った。それがきっかけで、毎日のようにペンをもっていた日常は遠のき、絵を描くこと はたまに気が向いたときにする程度になった。今思えば、そこできちんと練習していればそれなりの絵は描けるようになったのかもしれない。
ただ、絵を描くことが嫌いになったわけではなかった。今でも絵を描くことは楽しい。できない苦しみもあるが、できた物にはそれなりの愛着がわく。それくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。
絵を描きたくなるタイミングは、何かしらの世界に触れたあとが多い。「ミラーボーラー星の旅」のような世界観のある展示であったり、映画、小説を読んだ後は、そこから想像した世界を記録するかのように絵を描きたくなる。
直近でいつ絵を描いただろうか。とんと思い出せない。もしかしたらきちんと描いたのは以前 原田マハさんの「暗幕のゲルニカ」をみて ゲルニカを模写して以来かもしれない。あれは2020年の春くらいだったか?とにかく年単位かもしれない。
暗幕のゲルニカ、というよりピカソのゲルニカの模写は3日程かかっただろうか。シャーペンで模写→ボールペンで清書→アクリルガッシュでの色塗り…と工程を進むのだが、作中のシーンをいくつも浮かべては筆を動かした。
断捨離の過程で今まで描いてきたものの多くを手放したが、今もまだこの絵は額縁にいれたまま残してある。愛着故だろうか。
そんな絵を描くことに関してご無沙汰な私であるが、久々に筆をとることにした。
木炭がなかったので、シャーペンで下絵を描き、アクリルガッシュで色を塗った。つかった色は赤と青だけ。
シャーペンでの下絵
ではこれは何に影響をうけて描いたのか、ネタバレを交えて綴っていきたいと思う。
赤と青とエスキース
著:青山 美智子
メルボルンの若手画家が描いた一枚の絵画「エスキース」。日本へ渡って三十数年、その絵画は「ふたり」の間に奇跡を紡いでいく。
まず、そもそもエスキースとはフランス語で下絵やスケッチのことを指すらしい。
「エスキースは、そのとっかかりでね。何をどんなふうに表現したいのか、自分の中にある漠然としたものを描き留めて、少し具体的にするんだ。本番じゃないから、垂に見せるわけでもないし何度描き直したっていい。自由なところがすごくいい」(作中より引用)
今まで絵を描いてきたが、実は独学で描いてきたので全く知らなかった。もしかしたら美術の授業で聞いていたのかもしれないが記憶にはない。なににせよ、物語のキーワードとなる「赤」「青」そして「エスキース」がそのままタイトルになっている。物語はプロローグ、4つの章、そしてエピローグに分かれている。
一章 金魚とカワセミ
ー「恋人」への愛
メルボルンに留学中の女子大生・レイは、現地に住む日系人・ブーと恋に落ちる。彼らは「期間限定の恋人」といて付き合い始めるが…。
自分から人と積極的にかかわることのできないレイは、オーストラリアに留学に行くことで自らを変化させようとする。しかし、準備にどれだけ胸を躍らせてみても、実際は「日本で上手に英語が話せる」=海外で通じるわけではない。相手の英語を理解しきれずに、結局は孤立してしまう。そんななかで出会ったブーという青年によって、レイは少しずつ変化していく。二人が恋愛関係になるのも自然な流れであったが、ブーはレイに「期間限定の恋人」を提案する。レイはいずれ日本に帰るときがくる。それまでの間の恋人。お互い、それを受け入れたうえでの楽しい日々。しかし期限に近づけば近づくだけ、葛藤が芽生える。そんなある日、ブーはレイに「絵のモデルになってほしい」と頼む。知り合いの画家 ジャック・ジャクソン がレイを描きたいと言っているらしい。物語はレイが絵のモデルをしながら、過去を回想しているというように紡がれる。そして、そのとき描かれた絵が 「エスキース」だった。
レイのもつ不安定さや我儘さというような人間らしさが、ブーのまた違った不安定さ。若い二人の、若さゆえのゆらぎというか、先がまだまだ見えていないような、たどたどとした人物像。赤と青がとてもよく似合うと思った。同時にうらやましいと思うあたり、もう過ぎ去ってしまったのだなぁとしみじみとした。
先ほどあげた絵は、この「エスキース」の描写を読んで、私の頭に浮かんだもの。私は木炭もペインティングナイフも持っていないので作画方法を同じにすることは叶わなかったが、イメージというか世界観というのは描けたのではないだろうか。赤と青だけで色塗りするという縛りは一見、人物画には難しいのでは?と思ったが、やってみると意外と問題なかった。むしろ面白いと思ったので、いずれまた、何かを描くときに使ってみたい。
二章 東京タワーとアーツ・センター
ー「推し」への愛
30歳の額職人・空知は、淡々と仕事をこなす毎日に迷いを感じていた。そんなとき、「エスキース」というタイトルの絵画に出会い…。
美大卒業後、額職人の工房に勤めだして8年。始めこそ素材であったりと勉強することが多く楽しい日々であったが、そのうち淡々と毎日をこなすだけになる。これでいいのだろうか?という疑問はどんどんと大きくなる。職場には村崎という上司と2人だけ。額縁の発注は、とんと既製品ばかり。これは自分がしたかった仕事だろうか?そんなとき、円城寺画廊から額縁の依頼を受けることになる。そのなかにあったのが「エスキース」。
空知は以前、オーストラリアに訪れた際に ジャック・ジャクソンが描いたアーツ・センターの絵を観たことがあった。彼の絵に心を奪われた。しかし、彼の絵を飾る額縁は、憤りを覚えるほど不釣り合いなものだったのだ。
「絵と額縁が完全にマッチした状態のことを、完璧な結婚って表現するんですよ。
違った絵だが、ジャック・ジャクソンの絵に再び会うことができた空知は、完璧な結婚を目指すのだが…。
仕事に努める前は、あんなことをして、こんなことを学んで…と楽しいが、その刺激もどんどんと慣れて、淡々とこなすようになってしまう。そこで自分がどれくらいそれと向き合えるかで、これからが変わるのかもしれない。
それにしても、空知に、村崎に綺麗な名前が続いている。空は空色、村崎は紫。もしかしたらそういった意図があったのだろうか。
三章 トマトジュースとバタフライピー
ー「弟子」への愛
漫画家タカシマの かつてのアシスタント・砂川が「ウルトラ・マンガ大賞」を受賞した。雑誌の対談企画の為、二人は久しぶりに顔を合わせるが…。
元アシスタントの砂川は一言で言ってしまえば天才。まだ26歳という若さで「ウルトラ・マンガ大賞」を受賞するだけでなく、モデルのようにルックスも良い。そんな逸材であればメディアは放ってはおかないだろう。しかし砂川はコメントを寄せることはあっても、ほとんどメディア露出しない。しかし、師匠であるタカシマとの対談であれば…と砂川は雑誌DAPの取材を受けることにしたらしい。タカハシは「カドル」という喫茶店を訪れる。男女二人が営む喫茶店はまるで画廊のようだった。取材はそこで受けるらしい。タカハシと砂川はそこで久々に顔を合わせる。そんな二人の間には、やはり「エスキース」の絵が飾られていた。
砂川が天才だとすれば、タカハシは努力の人だろうか。青山さんの描かれるこういう いい意味で男臭い人は人情味があっていい。青く、どこか昭和くさい、しかし美しい。
この物語に出てくるDAPとそして編集部の乃木。以前青山さんの「鎌倉うずまき案内所」を拝読したことがあるが、その作品の中に出てきた彼ではないか…!
乃木ちゃんの登場に一人テンションがあがり、本棚から「鎌倉うずまき案内所」を引っ張ってきて、ニマニマした。こういう、登場人物のリンクは見つけると嬉しくなる。
四章 赤鬼と青鬼
ー「元カレ」への愛
パニック障害が発症し休暇をとることになった51歳の茜。そんなとき、元恋人の蒼から連絡がきて…。
職を転々と渡ってきた茜は人生に焦っていた。それでも「リリアル」という雑貨店に勤めだして1年半。ようやく手ごたえを感じるようになっていた。そんなある日、茜は店長からイギリスに買い付けにいってみないかと誘われる。当然、茜は喜ぶが1つ問題があった。パスポートは元カレと同棲していた際に住んでた部屋に置いてきてしまっていたのだ。その日の帰宅中、体に異変がおこる。電車の中、息ができなくなるのだ。医者にはパニック障害だと言われてしまう。折角のイギリス出張であるのに、どうしてこんな時に…症状がおさまるまで休暇することになるのだが…。
「今、私から言えることは」
オーナーはそう言い、私の手の上に自分の手を乗せた。
「生き延びなさい」
オーナーの女性が大味だけれども、人生の酸いも甘いも楽しんできた感じの女性でかっこいい。見た目のイメージは前田美波里さんのような感じ。品はあるのに、はつらつとして明るいような、そんなイメージ。見た目がそうであったとしても、きっと抱えているものはたくさんある。そういった目に見えないものを、そうだよなぁと再確認させられる。
青山さんの作品であるので、この小説がただの短編集ではないだろうと思いながら読み進めてしまう。あぁきっと彼女は、彼は…と。想像通りだったので、それはそれで嬉しい。
エピローグ
ー「???」への愛
水彩画の大家であるジャック・ジャクソンの元に、20代の頃に描き、手放したある絵画が戻ってきて…。
ジャック・ジャクソンによる答え合わせの物語。1~4章で綴られた物語でたてられたフラグを回収する。回収しつくしてくれるので、これはこれですっきりとした読後感を味わえるのではないだろうか。
絵は完成したらそれで終わりではない。それがたくさんの人の目を通り、手にわたり、価値が変動していく。たった1枚の絵でも名画といわれるものは、そういった付加価値のようなものが大きい。最近はそういったものにもっと触れたいと思うようになった。もっと触れて吸収したい。自分の血肉にしたい。
私の場合は、だが。1冊読み終えてまず感じたことが「描きたい」だった。今、自分の中に浮かんだ鮮明なイメージを描き残したいということだった。普段であれば道具を揃えて、ペインティングナイフの使い方を調べて…とするがそれすら時間がもったいなく感じた。青山さんが紡がれる世界は緻密ではないのに、その空気感であったりをイメージできる。すごい。それを残しておきたかった。
あぁ、いい物語だ。