より よく 生きる

よりよく生きるために

本・僕が夫に出会うまで

タイトルが気になった。それで手にしたのがこの本だった。

僕が夫に出会うまで

著:七崎 良輔

 

僕 こと 七崎さんが旦那さんと夫夫(ふうふ)になるまでのおはなし。自分がゲイであると気付き、認め、カミングアウトし、パートナーになる。子どもの頃から周りに「オカマ」と呼ばれ、いじめられ「普通」ではないと烙印を押されてきた、七崎さんのこれまでを赤裸々に綴った自叙伝だった。

 

どうして男同士というだけで、女同士というだけで、できないことが増えるのだろう。

どうして冷たい目で見られなくてはならないのだろう。

どうして辛い思いをしなくてはならないのだろう。

どうしたら、そういった垣根なく人々が幸せになるのだろうか。

 

著者は自分がゲイであると気付きながらも、認めることに長く葛藤を持っていたらしい。自分のそういったことを認めることにすら、葛藤というか、ストレスを抱かなくてはならないのか…と気付きになった。

 

私は今でこそ、LGBTQに対して浅いながらも知識があるが、今から10年以上前の学生の頃だとどうだろうか。きっと私も偏見の目で見てしまっていたかもしれない。そういった知識がなかったからだ。

 

今回は私の過去について綴りたいと思う。センシティブな内容を含むのでご了承いただきたい。

 

 

価値観としての「普通」とは何であろうか。残念ながら私には解りかねない…。世の中には様々な家庭環境で育った人が、様々なバックボーンがを元に価値観を構築しているはずである。それが均一的になるはずがない。なのに、家庭環境にも「普通」と「普通ではない」が存在するのは何故だろうか。

 

今にして思うのは、母は私を持て余していたのだろう ということ。もしくは育児にむいていなかったのかもしれない。ただどちらにせよ、私に発達的な問題があったから母は追い詰められていたのだと思っている。常に母の怒鳴り声が耐えず、暴力に訴えることも、裸で外に放り出されるということも日常茶飯事であった。それは所謂「普通」の家庭ではないらしかった。

物心つく頃から10歳頃までを父方の実家近くに住んでいたが、これも母からすればストレスの原因だったのかもしれない。「嫁姑問題」を絵に描いたような関係性だった。その上、私同様 人づきあいの上手い人間ではないので味方もいなかったとのだろう。ストレスの捌け口もなかったのではないだろうか。かく言う私はというと、案の定嫁姑問題に巻き込まれ「お前は母親にそっくりだ」と祖母に嫌われ、顔を合わせれば「お前はかわいくない」という言葉を投げられた。ただ実際に可愛げのない子どもであったので否定するつもりはない。

10歳の頃に母方の実家近くに引っ越し、やっと新しい住まいや学校にも慣れたころ、事件が起こった。妹と共に公文式から帰宅して、リビングに足を踏み入れてみたものは ワインボトルが床で割れて散らかり、それを父が掃除していて、少し離れた食卓で母が泣いている…という光景だった。

そしてその日の夜、母は何も言わずに姿を消した。一晩中方々探し回り、隣の県に住む知人の家で母親は見つかった。深夜遅くにその方の家につき、そのまま泊めてもらい、翌朝、その知人女性に抱きしめられたことを今も薄ぼんやりと思えている。原因は父親の不倫だったらしい。しかも相手は隣に住む女性。彼女は母の友人であり、彼女の娘は私の同級生で、私のはじめてできた友人だった。

 

両親は再構築を選んだが、そう簡単にいく話ではない。壁にはいくつもの穴があいていく。しばらくして、隣の家との間に高い塀が建てられた。私はそれを享受するしかなかった。

 

もともとないに等しかった安心できる環境も、友人も失った。そして当時の私はこれらの原因は「私がその子と仲良くなったせいだ」と思うようになった。私がその子と仲良くなったから、家族ぐるみの付き合いができ、果てはあんなことになってしまったのだと。私は誰とも極力関わらず、浅い浅い関係しか築かないようになった。ただ高校生くらいになってくると浅い関係を広げていくのにも無理があった。グループというものに所属しなければ、それはイコールして孤独にちかかった。それなら1人いればいい、自分を守ってくれる男性が一人いればいいと思うようになった。常に恋人を途絶えさせず、「恋人がいる私」でなければ、この世に存在価値がないのだと、本気で思っていた。ただただ捨てられる恐怖におびえ、そのくせ見切りも早く、この人は私を支えてくれないと思えば容赦なく次を探し切り捨てた。そんなふうに ろくな恋愛もできないでいるのに「結婚さえすれば自分の居場所を肯定してもらえる」と焦って婚約にこぎつけては、案の定、関係性が築けていないため破局するといったことを繰り返した。

そんな馬鹿な事を10年ほど続けていたあるとき。14歳年上の男性と交際することになった。交際してから1年くらいの頃、彼が出会い系サイトで他の女性と会っていたことが判明し別れ話になった。しかし頑なに別れないの一点張り。そしてその日から「別れるなら自殺する」「別れたらストーカーになる」の脅迫が始まり、暴力、同意のない行為が1年程続いた。首を絞められたこともあった。どれだけ泣き叫んでも、やめてもらえることはなかった。そして彼の口から出た「結婚」の言葉は、あれほど心待ちにしていたのに、どうしてこんなにも不快なのだろうか。結婚を断ったことでやっと彼から私への意識が離れ、それから1月ほどで解放されるにいたった。やっと自由になれた。そう思った。

 

しかし、そうも楽観してはいられなかった。もともと不安定であった私の精神状態は完全によくないほうに傾いていた。それから男性恐怖症の状態が続いた。仕事柄男性と関わることも多かったため、男性からのお誘いを受けることも時たまあった。しかし当時はそれが不快で不快でしかたなかった。当時の私は男性と、その男性から向けられる好意が恐怖でしかなかった。

 

そんなある日、働いていた公共図書館LGBTの本に出会った。300番台の棚。それまでは、自分にはかかわりのないけれど確実に存在していて、苦労を抱えた方がいる。それくらいの認識だった本たち。LGBにはもともとそういう体質をお持ちの方もいれば、後天的になにがしかの理由をもってそういう体質になられる方がいるとしった。後者の方の本を読み進めていくと、少し、ほんの少し、私にも気持ちがわかるような気がした。それから性について少しずつ考えるようになり、男性恐怖症が緩和するようになった。性別で人を見るのではなく、個人で人を見るようにしなければならないと肝に銘じた。心理学的にも認識すること、自覚することは治療への大きな一歩であるとフロイトがいっていたように。結局、次に男性を受け入れることができるまでに3年程かかった。

 

性自認は人によって違うと思うが、私は心も身体も女であり、恋愛対象も今のところは男性である。いわゆるストレートといわれる人間。だが最近は少しばかりの違和感のようなものを感じるようになってきた。性別の差に意識が向かなくなってきたといえばいいのか、女性でも男性でもどちらでもいいのではないかと思うようになった。年齢を重ねたからか、男性恐怖症のようになってしまったことで意識がかわったのか、他に原因があるのか は解らない。

 

LGBTQを考えるときいつも思うのが「普通」という枠組みは何なのであろうか、ということ。私は先にも述べた通り、性別の壁が年々と溶解してきて、自分でもよくわからないようになってきている。その状態は普通ではないのだろうか。解らない。思考すればするほど、解らなくなって支離滅裂になる。

 

「普通」って何だろうか。

 

著者の七崎さんは、出会った男性とパートナーシップを結んだが、今は解消されてしまったらしい。ハードルが多い分、ストレスも多いのだろうか。このあたりがもっともっとスムーズになって、「普通ではない」ことが普通でなくても、それが普通になればいいのに…と思う。

ちなみに調べてみたら知らない語句も増えていたので、改めてきちんとLGBTQのことを知れればと思う。よりよく、生きやすく、なりますように。