より よく 生きる

よりよく生きるために

本・姑の遺品整理は、迷惑です

まだ30代前半なのに?とよく言われるのだが、年齢関係なくやっておいた方がいいと思うことが、終活である。どうしても終活と聞くと、高齢になってから…というイメージがあるらしい。しかしながら、誰しもいつ死ぬかなんてわからないのだ。明日、何かしらが起きて命を失うかもしれない。それが数十年後かもしれない、来年かもしれない、明日、いや15分後かもしれないのだ。いつ命を失うかわからないのに、未来を疑わないのは何故だろうか。人間に備わった防衛本能かもしれない。

私がまだ十代後半から二十代前半の頃、自死を選ぼうとしたことが数回ある。結局は意識を取り戻し「生き延びてしまった」けれど、確かに私はあの頃に命を絶ったのだ。常に襲いくる希死念慮を相手に後先なんてものを考える余裕もなかった。勝ったのか負けたのかはわからないが、今私は生きている。当時は「死にそびれた」「覚悟が足らなかったのだ」と自分を責めた。今でこそ「折角生き延びた人生」を楽しむことができているが、だからこそ「いつ命を落としてもいいように」という感覚はぬぐいきれない。きっとこれからも薄まりこそすれ、消えることはないだろう。

以前つくった「今年やりたい100のリスト」や現在制作中の「死ぬまでにやりたいことリスト」は勿論自身の向上のためだが、もし命を落とすことになってしまったときに後悔することを少しでも減らしたいという思いもある。何事もゴールを意識することが大切だ。締め切りがないとだらだらとこなしてしまうが、締め切りがあれば少しは質があがるかもしれない。

ミニマリストに憧れるのも、その影響があるかもしれない。立つ鳥跡を濁さず というではないか。もし親か、それ以外の誰かが私の遺品を整理することになったとき、私にとって必要なものだけであれば 少しは負担が軽くなるだろう。迷惑をかけない、なんてことは不可能だが、軽減することはできるのだ。

断っておくが、別段、今現在希死念慮と戦っているわけではないので安心願いたい。

 

さて、今回も読んだ本についてネタバレ交えて綴っていこうと思う。

姑の遺品整理は、迷惑です

著:垣谷 美雨

 

姑が亡くなり、住んでいたマンションを処分することになった。業者に頼むと高くつくからと、嫁である望登子はなんとか自分で遺品整理をしようとする。しかしたったの3DKに物はあふれかえっていた。

誰もが経験するであろう遺品整理をユーモア溢れる筆致で描く長編小説。

 

姑はある日突然他界した。その死は突然だった。東京の東部に住む望登子は電車で1時間半かけて東京西部にある姑のマンションに遺品整理に通うことになる。エレベーターのない集合住宅の4階、3DKの部屋は一見片付けられているように見えた。しかし、箪笥やら押入れやらを開けてみると欄間までうずたかく荷物が積まれてる。よくみてみると壺まである。50代を越えてから年齢を感じるようになってきて、何度も階段の往復をするのは辛い。旦那は仕事で忙しい。子も自立して頼るのも忍びない。自分も週に数回のパートがある。しかし、学費や何やらで出費がかさみ、業者に頼むほど金銭的余裕があるわけでもなく、また姑は物を遺しても、お金は遺してはくれなかった。姑との仲は良好とは言えなかった。姑は自分の話を聞かない人だったからだ。姑の家を片付けていく中で望登子の鬱憤はたまっていく。

打って変わって、自分の母は聡明な人だった。15年前に癌がわかるが、痛み止めといった対症療法以外の治療は受けずに他界した。最期に遺ったのは指輪1つだった。

尊敬する実の母と、好きではなかった姑と。こうして望登子の視点から2人を対比しながら物語はすすむ。

 

物を捨てられないのは思い出を捨てることができないからというだけでなく、勿体ないであるとか、そういった複雑な感情が犇き合ってなかなか困難なことだと思う。それが自分の物であれば踏ん切りもつくが、自分ではない、ましてや他人の物であれば、それが捨てていいものなのかすら解らない。高価なものであったり、自分が求めている物以外のそれはただの不要なガラクタに過ぎないのだから。旦那に確認すれば、旦那は捨てないというし、踏んだり蹴ったりだ。

 

この物語の肝となるのは、遺品整理をすることで視点が変化していくこと。

姑は、本当に嫌な人だったのか?

実の母は、本当に落ち度のない人だったのか?

 

実の母はほとんど何も遺さなかったから、どんな人だったのか、何が好きで、何をして、何を思ったのか、一切の痕跡が消えてしまっている。姑はというと、どこに旅行して、誰のコンサートにいったか、それらすべてが手に取るように解る。

どちらが正解というわけでも、不正解というわけでもなく、それが個性というものなのだろうと私は思う。

 

自身が他界するときは、できるだけ最低限のものだけを遺していきたいと思う。処分もしてくれていいし、換金できるものは遠慮なくしてほしい。それぐらいスッパリと切り捨てることができる。しかし、実の親だとどうだろうか。最近は母も断捨離をはじめたと聞いているが、その後どうだろう。まだ、母方の祖母は健在だが、その時が来たら…?今から考えてもいろいろと悶々としてしまう。私は自分のことのように切り捨てて処分できるだろうか、あれをしてあげればよかったと、たくさんの後悔に潰されてしまわないだろうか。年に1~2回しか実家には戻れていないので、この人生であと何回会えるだろうか。そんなことを考えさせられる物語だった。

 

途中グダってしまっているように感じたが、それにも意味があったのだとわかったとき、スッキリとした。垣谷さんの描かれる物語もやはり好きだな。