より よく 生きる

よりよく生きるために

映画・命みじかし、恋せよ乙女

ドイツ、残念ながらあまり知っていることはない。国外から出たこともなく、世界史も世界地理も壊滅的な成績の私にはその国の「イメージ」というものがあまりない。当然、ドイツを舞台にした、ドイツの方が書かれた作品にも詳しくない。ヘルマン・ヘッセの「車輪の下で」もカフカの「変身」も未だに読めてはいない…もちろん知らず知らずに読んでいるものもあるだろうが…。ビールも加工肉も摂らない私にとって、関わりをあえて言えばグリム童話ぐらいだろうか。

なので、そもそもの価値観の相違を理解していないうえで、作品に触れていることを理解した上で作品に触れなくてはならない。言い訳が長くなったが、今回は「命みじかし、恋せよ乙女」についてネタバレ交えて綴っていこうと思う。

樹木希林さんの遺作であり、海外デビュー作となった本作。正直なところ、理解するのに少々時間がかかりそうである。

 

もともと東京の銀行でエリートであっただろうドイツ人男性カールは全てを酒によって失おうとしている。仕事も、妻も、子も。そんなある日、ユウと名乗る日本人女性が訪ねてくる。風代わりな服装に言動、動き。彼女は10年前に東京で死去したカールの父と親交があったらしい。カールの父の墓参りと暮らした家をみたいとのことから、2人は共に行動を始める。

カールの生家で暮らし始める2人。カールは黒い何かに襲われる恐怖から眠ることも怖がるが、その中で少しずつ彼の人生を見つめ直すことになる。幼少の頃、母親はカールを特に甘やかしていた。そしてその嫉妬からか姉と兄は彼をいじめるようになった。両親の死後も遺産問題や政治思想の争いなどから、それぞれとの関係はお世辞にも良好とはいえず断絶されていた。毎夜のように両親や様々な幻影(幽霊?)に責め立てられるが、それを救ってくれるのがユウだった。彼女だけは、カールにそのままでいい、体など関係なく、あなた自身がいいのだと諭す。カールが性同一性障害なのかと仄かに伝わってくるような描写が続くなか、わけあってカールは死の淵をさまよい、挙句男性器を失ってしまう。そして病院から生家に戻ってみるとユウは忽然と消えてしまっていた。

カールはユウを探し求め、日本の茅ヶ崎へとやってくる。カールは女性ものの浴衣を羽織った姿だった。そこでカールはユウによく似た人影を見つけ後を追う。そこは茅ヶ崎館という宿だった。女将である女性(ここでやっと樹木希林さん登場!!)に案内され、宿での生活が始まる。そこでカールはユウについての真実を知るのだった。

 

 

アルコール依存症性同一性障害、政治思想、ひきこもり問題、人格形成の際の家族間の問題、様々な問題が盛り込まれた物語なのだろうかと考えている。盛りだくさんな上、どれも唐突に決定打が訪れるものだから少々ついていくのに時間がかかってしまった。

オープニング映像からもこの作品が日本の怪談奇譚であることは想像がつくし、ノイシュヴァンシュタイン城でのやり取りからもある程度の察しは付く。ちなみに私はこのノイシュヴァンシュタイン城での件でカールもユウの正体についてある程度理解した上であえて触れていないのだと思っていたが違ったらしい。アルコールの中毒症状はいわゆるオカルト現象とをつなぐ架け橋のような役目にもなっていたのだろうか。

 

それにしても日本にくるまでが長い。そして暗い。樹木希林さん観たさに観ていた…といえば怒られてしまうだろうか…。そんな理由で観たばっかりに、樹木さんが出てくるまでがとても長く感じられて仕方なかった。出てきてくれたときの感動ときたら…。

 

全体の感想としてだが、どうしてもユウに対しての違和感が邪魔をして作品に集中できなかった。まず「こんにちは」「南無妙法蓮華経」などの日本語が覚束ない点や、言葉、仕草、行動に不可解な点が多い(下手というわけでは断じてないのだが)。まぁいってしまえば彼女のミステリアスを飛び越えた存在であれば仕方ないことでもあるのだが、とはいえ「???」が続く。精神疾患(?)を患っていたから…という点も考えたし、彼女の生い立ちから…とも思ったが、よくわからない。そもそも何故カールなのか、何故今更なのか…。

 

全体的に映像が暗いが、ところどころでドイツの風景や、茅ヶ崎の街並みが映るシーンは美しかった。ところどころでながれるピアノ曲などの音楽も美しかった。階段の2階、1階で糸電話のように電話を垂らすシーンは個人的に好きな構図・描写だった。

また、カールの浴衣の着付けをなおす際に樹木希林さんがいった「あなた、生きてるんだから、幸せになんなきゃダメね」という言葉が染みた。樹木さんはどんな気持ちであの言葉を仰ったのだろうか。とても良いシーンだった。

 

作品を通して浮かんだ言葉がある。「メメント・モリmemento mori)」意味は「死を忘れるな」といったものだが、私は「死を忘れない」=「生を意識する」という解釈でいる。死に近づいたからこそ、生きるという決定ができる。それは私も痛感している。希死念慮があるから、今生きているという実感がある。そして、今、私は生きて故人に想いを馳せているのだとそんな感情が浮かんだ作品だった。