より よく 生きる

よりよく生きるために

映画・ノマドランド

25歳くらいの頃だったか。ミニクーパーに乗っていた頃がある。黒のぽってりとした丸いフォルムが愛らしく、手も金もかかる車であったが、今はいい思い出となっている。今後大きく生活環境が変わることがなければ、もう自家用車をもつことはないだろうと思っている。そもそも車が愛らしかっただけで、運転が好きなわけではなかったのだ。

だがその当時、ちょっとした野望のようなものがあった。ルパン三世の「カリオストロの城」を観たことがある方は想像しやすいと思うのだが、あんな感じで旅をしたかったのだ。車の後ろに荷物を詰め込んで、できれば日本全国、観光地は勿論だが、そうではないありふれた場所に行ってみたかった。ゲストハウスに泊り、現地で労働をして金銭を補充しつつ、長い旅をする…、というのが当時の夢だった。残念ながら女一人、そのような旅をするのは危険だと周りに止められてしまい、実現することはできなかった。今も、方法を変えていつか、実現できたらと思っている。

 

今回は映画ノマドランドについて、ネタバレ交えて綴っていこうと思う。

ミニマリストが観るべき映画〇選!なんていう記事をみれば、高確率のっている映画「ノマドランド」。実際に私も興味があったし、いつかは観なければならないと、よくわからない義務感のようなものをもっていた。やっと観れたのだが、とても興味深い内容だった。

 

ネバダ州のとある企業城下町に暮らす、60代女性ファーン。旦那が亡きあともその町にとどまっていたが、リーマンショックの影響で徹底を余儀なくされ、長年連れ添った家を失ってしまった。彼女は売れる荷物を売却し、キャンピングカーを購入する。残していく荷物は貸倉庫に預け、それ以外はそのキャンピングカーに乗るだけ。そして彼女のノマド生活が始まる。

アメリカ各地で季節労働者として各地を転々とする。Amazonの配送センターで勤めているとき、リンダ・メイという女性に出会う。彼女もリーマンショックの影響で財産を失った女性だった。リンダはファーンに「砂漠の集い」に来ないかと誘う。砂漠の集いとは自身もノマド生活者であり、YouTubeなどで情報を発信しているボブという男性が、ノマド生活者の支援を目的として催されているイベントであった。そこではノマド生活をするうえで必要な情報が共有されたり、不用品の交換、そして人々の交流の場となっていた。そこでファーンはスワンキーという女性やデヴィットという男性と知り合うこととなる。ファーンは多くの出会いと別れ、そして再会を繰り返しノマド生活を続けていく。

 

この映画は、ジェシカ・ブルーダー原作の「ノマド:漂流する高齢労働者たち」を映画化した作品らしい。

ノマド(nomad)は英語で「遊牧民」の意味

kotobank.jp

もともとフランス語で遊牧民・放浪者の意味であり、本来は「定住する場所がなく、移動しながら暮らしている人々」のことを指す。最近はオフィスをもたないで様々な場所で働く方々のことをノマドワーカーと呼んだりしているし、財布などを手掛けるブランドのノマドイはこのノマドから名前を得ている。割とここ数年、なじみのある言葉になったように私は思っている。

nomadoi.jp

ノマド生活とは、定住することなく移動しながら暮らす生活というわけだが、ホームレスとは違うらしい。作中でファーンが「ホームレス」ではなく「ハウスレス」だと断言している。家という形にこだわらず、自分のHome(住まい)はあるが、House(家)はないということか。このシーンが特に印象に残った。彼女にとって、そこは譲れない誇りのようなものだろうかとふと思った。

 

ノマドの人々の世界では別れは「さようなら」ではなく「またね」らしい。今は別れてしまうけれど、いつかまた会える。それは他界した人も同じこと。すがすがしいような、温かみのあるようなものを感じた。

 

ファーンは最後、自分の過去を整理し、貸倉庫に預けていた、要は過去と今を繋ぐ荷物を全て処分する。今現在必要な荷物であるキャンピングカーにのっている荷物だけを背負って旅を続けていく。正直にかっこいいと思った。シンプリストを目指している私だが、私はここまで捨てきることはできない。当然境遇が違うので同等に扱うものではないし、比較するものでもないのだが、この潔さのようなものを私にも取り入れることができたらと思った。

 

冒頭で旅をしたいと言ったが、いつか私も鞄一つをもってあちこちを周ることができるだろうか。旅、したいなぁ。