より よく 生きる

よりよく生きるために

映画・COCO avant CHANEL

昔から洋服のブランドに疎い。昔は山のように洋服を持っていたが、それらを手放し、ミニマリスト的な生活にシフトし、最低限のみの服だけを持つようになったため、洋服は無印良品ユニクロなどの無地でオーソドックスな形のものだけになった。そのためかより一層、’ブランド’というものが解らないのだ。別段それが良い事とも悪いこととは思っていないのだが、ごくごくたまにハイブランドの商品の話になったとき、それの相場や品質について解らなくて困ることがある。

鞄屋で働いていたが、その鞄ですら怪しい。日本の吉田鞄(PORTER)や山本耀司などであればまだわかるのだが、海外の商品となると壊滅的に分からない。

 

最近、気が付いたことがある。

私は父方の親戚関係が良好ではない。ここ数年、断絶状態である。妹の結婚式で伯父、祖父が参列していたので それ以来ということになる。なぜここまでこじれたのか…の原因は祖母にある。祖母はわかりやすく孫差別をする人だった。父親似の妹は大層かわいがられたが、私は露骨に邪見にされた(当然私も反抗心の強い子どもであったので、私にも非は大いにあることは理解している)。その祖母はいつもハイブランドで身を包み、毛皮のコードを纏い、101匹わんちゃんのクルエラ・デビルのような(本当に似てた)、そんな人だった。そして親戚一同を拒絶するようになったのが、祖母の遺産に関してである。祖母の死後、大量のハイブランド品を孫で分けるということになったらしいのだが、当然私が呼ばれることはなかった(妹もだが)。伯父の娘、伯父の息子の嫁×2、本家の人間2人(孫ですらない)で分けたと事後報告があった。「欲しいなら指輪の1つでもくれてやろう」的な捨て台詞は頂戴したが丁重にお断りした。そもそも初めから大嫌いな人間の遺品など欲しくもなかったので私にとって遺品が1つもないということは問題ないのだ。ただ、そちらが「孫」から自分を外し、関係のない人間に置き換えたのであれば、もう「孫」としてそちらに係わる必要もないだろうと結論にいたった。別段、喧嘩をしたわけでも、揉めたわけでもない。ただ「冠婚葬祭以外の全ての関係を遮断する」という選択をしたに過ぎない。

そして私にとって「ハイブランド」とは、そういった金だけはある内面的美しくない人々の象徴のように目に映るようになり、毛嫌いするようになったのだろう。最近でこそ、そういった偏見をもつこともなくなったが、相変わらず自分でお金をためて買おうと思うには、今のところ至っていない。そもそも経済的にそういったものを買う余裕はないし、余裕ができたのであればポップインアラジン と どうぶつの森(ニンテンドウ スイッチ)を購入し、北海道に旅行するだろう。

 

そんな私だが、1つだけ「これは欲しい!!」と思ったハイブランドの鞄がある。それがシャネルのマトラッセ。シャネルの中でもポピュラーなキルティングバックで、華奢なチェーンが美しい。そしてその中でも(マトラッセか2.55かはたまた他のシリーズかもしれない)、シャネルのロゴの入っていないものが昔発売されていたらしい。今ではプレ値でとんでもない額になるだろう。それが今までで唯一、焦がれたハイブランド商品であった。

 

今回はそのシャネルについて映画に触れたので、ネタバレ交えて綴っていこうと思う。

ココ・アヴァン・シャネル

上記で話したブランド シャネルの創設者である一人の女性について描かれた映画だった。

 

フランスの片田舎の孤児院で姉と共に育てられたガブリエル。施設を出た後、女優を目指し、寂れたナイトクラブの歌手やお針子として働いていた。

そこで貴族 エティエンヌ・バルザンに見初められ、何不自由ない生活を手に入れるが、あるのままの自分を受け入れてくれるアーサー・カぺルと運命的な鯉に落ち、自らのファッション・スタイルを模索していく。

 

映画はガブリエルという少女が孤児院に預けられるところから始まる。母が亡きあと、父はガブリエルを孤児院に預けたのだ。日曜になると会いに来る、それを信じて彼女は待つが、父が再訪することはなかった。

ココは姉とともにナイトクラブで歌い手をしている際にバルザンに出会い、歯に布着せぬ物言いで彼を魅了した。しかし、そんなある日、店主の男性と口論し、姉ともどもナイトクラブをクビになる。女優を目指していたが、それはうまくいきそうにない。そんな折、姉が結婚するからこれ以上は続けることはできない。ここを出ていくとココに告げるのだった。仕事も行く当てもないシャネルはそうして、バルザンの別荘を訪ねるのだった。

 

私の中で、シャネルという女性は、自立して、男性に頼らない、そんな女性だった。しかし実際はそうではなかったらしい。バルザンの別荘で自堕落な生活をつづけ、バルザンとボーイ(カペル)という2人の男性に求められながらも、彼女は自分のしたいことを突き進む。作中では一見、我儘で横暴にもみれる姿だった。

 

当時の女性はコルセットをきつく縛ったようなロングドレスにつばの広い帽子で身を華やかに着飾っていたらしい。マリーアントワネットのような風貌といえばわかりやすいだろうか。しかしそんな姿では、乗馬も容易にはできない。優雅に横乗りすることはできても、それではスピードを出せないし乗りこなすことは難しい。ココはまるで少年のようないでたちで人々の前に現れ、馬を乗りこなす 「変わり者」として描かれる。ズボンとは男性が履くものであり、女性が履くことは とても変わったことだったらしい。私が思っていた「男性からの自立」とはかけ離れていたとしても、当時ではものすごい一歩だったのかもしれない。

 

映画全体の感想としては湿度が高い映画だったということ。ココ・シャネルの人生を描いたというよりは、ココがシャネルを立ち上げるきっかけまでを描くようなそんな作品だった。そのため、社会運動に関してや、デザインについてなどは描かれることはなく、あぁこれはヒューマン映画ではなくラブロマンス映画なのだなと。映像も全体的に重い色味の為か美しい、と思うところが少なかったのが残念に思う。あまり色彩がないのは、その時代を反映してなのか、最後のシーンを華やかに際立たせるためなのだろうか。他にもココを描いた作品は多くあるらしいので、いずれ触れてみてもいいかもしれない。

 

そういえば、映画を観終えた後に気が付いたのだが、ココを演じていたのはアメリを演じていた女優さんらしい。アメリも観ようと思ってかれこれ何年たつだろうか。そういった作品がたまっていくというのは、嬉しい悲鳴であるのだが…。時間貧乏を改善しなくては