より よく 生きる

よりよく生きるために

映画・フランケンシュタイン

先日シザーハンズを観た際に一番に浮かんだのは、フランケンシュタインだった。監督であるティム・バートンが影響を受けたのだろう作品だからだ。後に「フランケンウィニー」という作品も出しているし、きっとそうなのだろう。調べていないけれど。

フランケンシュタインはハロウィンの仮装の定番なのだろうか。昨今の渋谷で行われるパレードのようなもので、ゾンビこそよくみるが、フランケンシュタインは…記憶にあまりない。映えないのだろうか?あとハロウィンで疑問なのだが「ウォーリーをさがせ」の赤いボーダーをよく拝見するのだが、あれは何故なのだろうか。彼はお化けという設定があるのだろうか???謎は深まるばかりだ。

 

昔からルーツを知らないのに盛り上がる人々が苦手だった。クリスマス・バレンタイン・ハロウィンしかり、そしてフランケンシュタインしかり。なぜ、背景を知らずに表面だけをみて、盛り上がるのだろうかと不思議だった。今でこそそんなことを気にしないようになったが、学生の頃は毛嫌いしたものだった。それが特大ブーメランになるのだと、今でこそわかるのだが。若気の至りとは可愛らしいものである。

 

フランケンシュタインの映画を観たので、ネタバレ交えて綴っていこうと思う。

私が観た「フランケンシュタイン」は1931年に公開されたもの。全編モノクロ映像の映画を観たのはいつぶりだろうか。

 

フランケンシュタイン男爵の嫡男であるヘンリーは生命の復活に対して狂気的な研究を続けていた。ヘンリーにとっては美しい許嫁エリザベスよりも、研究の方が大切らしい。助手と共に墓場をあらし、死体を盗み、さらに助手にウォルドマン博士の元から脳を盗み出すように指示する。しかし、盗み出された脳は、normalではなくabnormal、犯罪者の脳だった。そしてヘンリーは脳のことを知らぬまま、それらをつなぎ合わせ、高圧電流を用いて死体を蘇生しようとしたのだった。

死体はヘンリーの想像通り、蘇生し、動き出したのだった。ヘンリーの教授であるウォルドマン博士は怪物を始末することを勧めるが、ヘンリーは聞く耳を持たず研究を続ける。そして、怪物は牙をむくのだった。

 

フランケンシュタインとは、怪物本人の名前ではなく、あくまで怪物を創造したヘンリーのことである。しかしながら、作中でもっとも怪人たるは彼であって、怪物の彼は被害者といってもいいかもしれない。それならば「フランケンシュタイン」という怪物は間違いないのだろう。

 

ヘンリーは自らの研究欲を満たすため、実験を継続する。それが世間一般から批判にさらされようとも彼にとっては、生命の創造という神たる研究の方が優先順位が上なのだ。要は自らの欲求のために、怪物の彼は誕生させられたわけである。

彼は生まれつき凶暴なわけではなかった。言葉を理解し、たどたどしくもヘンリーのいうことをこなしていた。しかし助手の男は、怪物の彼を鞭で打ち付ける。そこで怪物に暴力が植え付けられたのかもしれない。犯罪者の脳を持っていたから、というよりは、そういった環境で育てられたから、彼は怪物たらしめたのかもしれない。

 

外を知った怪物の彼は、初めて花を知る。水に浮かべ喜ぶ姿はまるで幼子のようである。強大な力がありながら、それの使い方を理解していない。善悪の区別もない。故に、悲劇が生まれるのだ。もし、彼が「シザーハンズ」のエドワードのように、育てられていたら変わったのだろうか。ラストの展開に「フランケンシュタイン」はホラーというよりかは、悲しい物語のように思えてならない。

大学生の頃に観たのは、確か怪物の彼が時計塔を抜け出すところまでで、その後の展開は今回はじめてみた。当然ハッピーエンドにはならないと持っていたが、なんとも形容しがたい気持ちになった。

 

余談だが、1930年というと今から90年も前の映画になるわけで。当然、作品に出演していたほとんどの人が亡くなっているだろう。この辺りにも、なんとも言えない不思議な気持ちになった。歴史をみているような、そんな気持ちだろうか。このなんとも言えない悶々とした感覚が、思考につながるのだろうか。このままに流れてみようと思う。